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絶望名人のカフカ 希望名人のゲーテ
カフカの『変身』
日常に潜む不条理を描いて、20世紀文学に大きな影響を与えたチェコの作家フランツ・カフカは、1924年6月3日、プラハで世を去っている。40歳だった。今年が没後100年にあたる。
「ある朝グレゴール・ザムザが落ち着かない夢から目覚めてみると、彼は自分がベットの中で大きな毒虫に変わっているのに気が付いた」で始まるカフカの代表作『変身』については、本誌3月号で、稲沢潤子さんが「在り得ない設定から出発する小説ですが、観察眼は細かく正確で、人間批判はリアルでユーモアもあり、様々な角度から読める小説です」とその魅力を語っている。
カフカには父との確執があった。「この小説は、ノルマと上司からの圧力にひたすら耐えるしかないサラリーマンの悲哀と重ねて読まれたり、登校拒否など引きこもりと重ねて読まれてきました」と小説の受容についても稲沢さんは言及している。
『変身』を読んだのは学生時代で、もう半世紀以上昔になる。突然毒虫なるという奇妙な話に戸惑った印象が強いが、今では自然に読まれ受容されているという。
生きること 絶望すること
稲沢さんに触発されて、カフカのことを考えていたところ、頭木弘樹さんの『絶望名人カフカ 希望名人ゲーテ』という本に出会った。
カフカを絶望する「名人」として捉え返したところに、そうかと心に落ちるものがあった。ゲーテは、「もっと光を」と今わの際にも求めたように、まさに希望名人で、2人の対比にも惹かれて、早速、拝読した。
頭木さんは学生時代に難病になり13年間も苦しまれたという。心がつらいとき、本当に必要なのは、励ましやポジティブな言葉より、辛さや絶望に寄り添う言葉が心に響いたと語る。カフカ論には絶望と折り合って生きた頭木さんの体験がにじんでいる。
頭木さんの病気に比べれば、当方は高校入学が1年おくれた程度のことだったが、肺結核になって喀血して死ぬかと思ったり、絶対安静が3か月も続いたりして、絶望はそのまま死だから希望にすがるのだが、横たわった天井を見つめて絶望と折れ合っている自分もあったことが思い出され、絶望名人という表現が胸に収まった。
絶望の人 カフカ
希望と絶望は人生の根本に関わり、絶望に耐えることは、生きると同じ意味を持つ。カフカの絶望はいかなるものであったのか。頭木さんは、親に絶望し、学校に絶望し、身体の弱さに絶望し、心の弱さに絶望したカフカの言葉を掘り起こしている。
「夜中に喉が渇いたとただをこねたことがあります。お父さん、あなたはぼくをベットからから抱き上げ、バルコニーに放り出しました。あの後、ぼくはすっかり従順になりましたが、心に深い傷を受けました。水を飲みたがる当り前さと、窓の外に放り出される恐ろしさとが、どうもうまくつながらなかったのです」
「ぼくは同級生の間では馬鹿でとおっていた。何人かの教師から劣等生と決めつけられ、両親とぼくは何度も面と向かって、その判定を下された。極端な判定を下すことで、人を支配したような気になる連中なのだ。自信を失い、将来に絶望した」
「こんな身体では何ひとつ成功しない。細くて虚弱なくせに、背が高すぎるのだ。温かな体温と情熱をたくわえる脂肪がちっともない」
「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまづくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」。
絶望した時には、絶望の世界が心休まる。頭木さんはカフカと同伴した。絶望を否定する契機は、絶望の中に内在している。絶望名人になるということは、生き延びる知恵を少しずつ授けられてきたということだろう。中学時代、絶望と折れ合っていた分だけ、私の心は成長していたのかもしれない。
絶望は、カフカを次のような認識に導く。「ぼくは自分の弱さによって、ぼくの時代のネガティブな面をもくもくと掘り起こしてきた。現代は、ぼくに非常に近い。だから、ぼくは時代を代表する権利を持っている。ポジティブなものは、ほんのわずかでさえ身につけなかった。ネガティブなものも、ポジティブと紙一重の、底のあさいものは身につけなかった。どんな宗教によっても救われることはなかった。ぼくは終末である。それとも始まりであろうか」。カフカは何を予感していたのだろう。
カフカと現代
『判決』『審判』『城』などのカフカの小説は、どれも不条理な筋書きになっている。『判決』では、主人公ゲオルクは父に死刑を言い渡され、川に落ちて死んでいる。
「何者か、ヨーゼフ・Kを誣告したものがいるに違いない。ある朝、身に覚えのないかれが突然逮捕されたからである」で始まる『審判』は、30歳の誕生日の朝に突然逮捕されたKが、31歳の誕生日の前夜に刑吏に連れ出され、石切場で心臓をえぐられて処刑される話である。
『城』では、城に呼ばれた測量師のKは、城のある村にやってくるが、ま近に見える城になかなか到達できない。到達できないまま小説は未完に終わっている。
こうした不可解な小説が、今、強いリアリティーを持つ。支配欲の強い父や母から、素直、従順を強いられ、成長が阻害されたトラウマで自立できない子供たちの毒親問題。
ねだり、たかり、一方的命令に従わせる知事のもとで、変身を強いられた職員がそう出来ずに自殺した兵庫県の事件。
突然逮捕され、死刑判決を受け、58年後にやっと無罪となった袴田巌さんの事件。まさにカフカの予言した世界が現前している。「現代はぼくに非常に近い」とカフカはいう。現代とは一体何なのだろう。
希望名人のゲーテ
カフカとは対照的な「希望名人ゲーテ」の言葉も、頭木さんは紐解いている。
「なんでそう深刻に世間のことで思い悩みたがるのだ。陽気さと真っ直ぐな心があれば、最終的にはうまくいく」
「自分自身を知るには、どうすればいいのか?じっと見つめていたってわかりはしない。行動して見ればわかる。自分の義務を果たしてみよう。そうすれば、すぐにわかる。自分に何がそなわっているのか」
「孤独はいいものです。落ち着いて自分らしく生きることができて。やるべきことがはっきりしているなら」
「無理にやってもだめなことはある。精神力でうまくいかないときは、好機の到来を待たなければならない」
「空気と光と友人の愛! これだけ残っていれば、へこたれるな。太陽が輝けば、ちりも輝く」希望名人ゲーテと絶望名人カフカ。対極にある二人だが、カフカはゲーテを愛読していたという。
仕事を嫌がっていたが、それは文学のためで、上司からは評価され、出世して部下もたくさん持ち、社会主義への共感を示す赤いカーネーション着けて困った人へ無償奉仕もしていたという。
希望に満ちている人は、その枠内でしか現実を見ない。絶望した人は、状況への全体的な認識が呼び覚まされる。事柄は全体的に捉えて初めて意味を持つ。絶望名人になる意味はそこにあろう。
カフカはしかし、個人にとどまらず、世界そのものが絶望の体系になっていると直感していた。これをどう受け止めたらいいのだろうか。
木影にも、道のありつる月夜かな
カフカ、ゲーテを追尋しながら、おのずと対比は二宮尊徳に移っていく。尊徳は生涯にわたって絶望の世界と対峙した。五歳の時に酒匂川の洪水で田畑を失い、苦難の生活の中で父も母も失い、桜町復興の10年も、半分以上は絶望の時だった。
小田原藩の報徳仕法も、藩主が亡くなると、武士に刃向かうやり方だと断罪され、小田原追放となる。打ち首にしろ、島流しだ、焼き討ちだと、脅迫のビラや嫌がらせをたくさん受け、尊徳が風呂に入っていると、「先生、危ない」という叫び声が聞こえ、尊徳がとっさに風呂場から飛び出すと、槍が2本、風呂場に突き刺さったという。
権威や権力、それを後ろ盾にする人たちの所業を尊徳は嫌と言うほど体験した、まさに絶望名人といえよう。幕臣に取り立てられたが、日光神領の再建のための案は10年近く据え置かれている。『城』のKと同じ運命である。しかし尊徳は、どんな状況でも、そこに道を見出している。「木影にも、道のありつる月夜かな」。
森羅万象をゲーテは目的論的に捉え、カフカは存在論的に分析し、尊徳は実践論的に克服しようとした。この3人に共通するのは、徹底したリアリズムの精神である。現実を見るまなざしの深さと確かさである。
「予が足を開け、予が手を開け、予が書簡を見よ。予が日記を見よ。戦々兢々、深淵に臨むがごとく、薄氷を踏むがごとし」と尊徳はいう。
世界は今、たくさんの不条理に満ちている。この否定的現実を、否定し、克服していく思想と実践は、あらゆる局面で求められていよう。
「一円仁、みのり正しき月夜かな」。江戸時代に生きた尊徳は、絶望界からこのような世界を生み出すことが出来た。
現代に生きる私たちは、どのような未来を構築できるのだろうか。