戦前の77年 戦後の80年 そして未来日本へ(『報徳』2025年新年号巻頭言より)
新年明けましておめでとうございます。
今年は戦後80年に当たります。昭和でいえば丁度100年です。明治維新から太平洋戦争終結までの戦前が77年でした。
近代日本の77年と現代日本の80年について考えていますと、いろいろな感慨が湧いてきます。それはそのまま、これからの日本、未来の日本がどうなるのか、未来日本80年への想いに連なります。
新しい転換が、日本においても世界においても、根本的なところから求められています。戦争と平和の問題、気候変動の問題、格差の問題など、どのような形で転換が可能になるのか。未踏の、しかし人類にとって深刻な課題で、私たちひとりひとりが深く思いを巡らさなければなりません。
豊臣史観と徳川史観
転換期には、俯瞰的な見方が求められます。塾長を務めている「きらめき未来塾」で、徳川十九代の徳川家広さんに講義をお願いしたことがありました。豊臣史観と徳川史観について話して下さいました。
豊臣秀吉は、戦国時代の申し子です。戦争、下剋上、領土拡大、興隆の成功物語を体現し、乱世の雄の生き方を示しています。それに対して徳川家康は、戦国の世に翻弄され、辛酸をなめ、厭離穢土、欣求浄土を掲げて、戦乱のない世の中を目指しました。
秀吉は、日本を統一すると朝鮮に出兵しました。朝鮮、中国を手中におさめ、明に代わって天皇を北京に迎えて統治し、自分は日本国の王になるつもりでした。この野望は潰え、替わった家康は、士農工商の身分制度と幕藩体制によって国を安定させました。そして260年の平和を築きました。
幕末、維新を経て、明治国家になりました。ここで日本はまた、豊臣秀吉に憑りつかれたのではないか、というのが徳川さんの問題提起です。
日清、日露戦争に始まり、日本の生命線と称して一億一心、中国、東南アジアに出ていきます。大東亜共栄圏の構想は、豊臣史観の大陸制覇の夢と似ています。そして挫折し、敗戦に至りました。
昭和20年、焼け野が原になって日本は徳川史観に戻り、以後ずっと平和が続いている、家康の考え方で時代をみるとこう言えるのではないか、というお話でした。思いがけない視角からのお話で、大変触発的でした。
徳川さんがこのような話をされたのは、当時、集団的自衛権の閣議決定がされ、日本の将来に懸念を持たれたからだと思います。また豊臣史観に戻るのですか、と。
戦争と平和
集団的自衛権は、憲法上大きな問題があるといわれている共に、大変曲者で、アメリカは二十年にわたるアフガニスタン戦争に失敗し2021年に撤退しましたが、日本も途中から空中給油などで戦争に参加し、国際法上は日本も敗戦国なのに、そのように自覚している日本人は誰もいない、ここに集団的自衛権の恐ろしさがある、という指摘があります。
フランス兵87名、ドイツ兵54名、イタリア兵は48名が戦死しているのも衝撃です。アメリカの戦争にNATOの集団的自衛権のもとに出動した犠牲者です。一体何の為に死んだのか。自衛隊員を守るためにも、集団的自衛権は廃絶し、個別的自衛権に徹すべきでしょう。
台湾問題をめぐる米中対立は、日米安全保障条約がある限り、米軍と一体の行動が求められます。台湾有事となれば、台湾に米軍基地がない以上、沖縄が中国との戦争の最前線基地になります。中国と事を構えて何の意味があるのでしょうか。安全保障どころか、国民にとって安全破壊条約です。ここに軍事同盟の欺瞞と虚しさがあります。
ロシア・ウクライナ戦争は、ロシアが悪者になっていますが、十六か国から三十か国になって、ロシアに迫ったNATOこそ原因でしょう。軍事同盟、米ロ中の覇権主義、各国にできつつある軍産学融合体、格差を生み出す資本の論理など、人類にとって敵対物になっている事柄に、私たちは常に厳しく目を向けなければなりません。
徳川さんの話に戻れば、江戸時代の260年間にあった戦乱は、大阪冬の陣・夏の陣と島原の乱でした。それぞれ戦死者は2万人ほどと言われています。
ところが明治維新から敗戦までの近代日本77年間の戦死者は、太平洋戦争で310万人といわれ、それ以前の日清・日露戦争やシベリア出兵など諸々合わせるとどれ位になるのでしょうか。400万人を超えるのではないでしょうか。
しかし戦後の現代日本80年の戦死者は、ゼロです。この達成点に刮目し、次の80年の土台にしなければなりません。
産業の総合的な発展を
アメリカに次いで世界第二位だった日本のGDPは、2010年に中国に追い抜かれ、2023年にはドイツに追い抜かれました。今年から来年にかけてインドに追い抜かれるのは必至といわれています。どうしてこうなったのでしょうか。
異次元の金融緩和を掲げたアベノミックスも、お金を動かしただけで、一部富裕層は豊かになったかもしれませんが、産業振興には寄与しませんでした。どこか本質からズレており、産業基盤を強化し、業を起こす力を沸き立たせる政策になっていませんでした。
担い手がいなくなり放置耕地が増大する農業が深刻ですが、プラザ合意、ウルグアイラウンド、TPPなど、日本潰しを狙ったアメリカ主導の政策に政府が同調していることも、大きな原因ではないでしょうか。オレンジ自由化でミカン農家を潰し、牛肉自由化で畜産農家は廃業に追い込み、等々といった同じスタイルの政治が、無神経に行われているのを感じます。鉄鋼、自動車、電機で稼ぎ、安ければ海外依存にしていく、国際分業論にも強い疑念を抱きます。
経済も産業も総合力です。自主自立の経済政策を持たず、産業の全体的発展、豊かな裾野形成を怠ってきた結果が今の惨状でしょう。独立自尊の経済政策、産業基盤の確立、技術立国の初心に戻るしかありません。
人間の在り方の探求
人間の在り方も大きな課題です。戦後復興と高度経済成長を支えたのは、戦前からあった日本人の倫理道徳観で、二宮金次郎精神もその一翼を担っていました。しかし高度経済成長と豊かさの中で、「勤・倹・譲」は、「消費は美徳」に替わります。
高度経済成長は、若者を都会に呼び寄せました。自由恋愛によって結婚した彼らはニューファミリーをつくり、自由な個人が自由な判断によって人生を決める、まさに戦後民主主義が花開いた時期でした。
その反面、古いものや共同体的な在り方は、封建的だと批判され、核家族ですから、父母、祖父母の生活文化、知恵や伝統が継承されないままになります。
一億総中流に向かう中、独立不羈の市民が生まれると思いきや、醸成されたのは私生活中心主義の小市民のメンタリティーでした。物質的豊かさと便利さの中で、内面は安易で不確かなまま、個人主義から利己主義へ、そして孤立化へとすすみ、今は密室化がいわれています。
1970年代には校内暴力、80年代はいじめや生徒の自殺、90年代は不登校、2000年代に入ると学級崩壊といった、今までの日本になかった問題が噴出します。このメルトダウンは現在も続いています。
戦前の日本には武士道など、道を求める志向が強くありました。よく読まれた『論語』、尊徳も学んだ『大学』などを通じて、生きる規範を学びました。昔は父や母や教師たちも、生活の知恵からにじみ出た「そういうものだよ」と「もんだ」を教えました。
今はそれがありません。たたき台がない自己形成は、ふやけたものにしかならないでしょう。
新しい市民を求めて
市民としていかに生きるべきなのか。アフラック日本の創業者である大竹美喜さんは、報徳こそ市民道の中心に据えるべきものと提案されています。
「至誠・勤労・分度・推譲」は、至誠という個人的な営為が、最後は推譲となって自然に社会に還元される考え方で、「今だけ・ここだけ・自分だけ」の若者たちにも、自分の行為の社会的意味を自覚させる契機を含み、至誠と実行もよびかけることができるという指摘は重要です。
江戸時代の思想が今に生きている。実践によって試され済みの思想だからです。徳川家広さんのお話からは、260年の安定を誇った江戸時代からも、もっと多くのものを吸収しないと、という強い刺激をいただきました。
戦後80年。戦後民主主義は、個人を解放し、一人一人の自己実現を目指し、多くの豊かな個性を生み出しました。これを基盤に、現在、今の社会の中に強く働く個別化、分断化、孤立化、密室化の動きに抗し、私たちの生き方をもう一段、グレードアップさせることが求められています。
人と人とが豊かに結びつく連帯と共同の民主主義です。未来日本の80年の活力と希望は、ここからしか生まれないでしょう。死中に活の報徳思想が、連帯と共同の民主主義に大きく寄与することを願っています。