お互いの配慮について
秋田に帰ってきて5ヶ月
帰ってきて2ヶ月くらいは生活するために仕事を探し、訪問介護の仕事に就いた。少し慣れてきたところで、昔から少し興味があった自殺対策の仕事もはじめた。
ぼくは今年の3月に大学を卒業したが、どこかに正社員として所属することはなく、パートを掛け持ちで2つしている。そして最近また新しい仕事が生まれて、今は3つ。複数の仕事をしながら、比較的自由を保ちつつ、自分の未来を考えながら日々を過ごしている。まあだから月曜の昼間に、このnoteを書けるわけなんだが。
北海道を離れた6月末
「いったん秋田に帰るか」と思って、4年ぶりに実家に戻った。大学生の時には「もう実家で生活することはないよなぁ」と思っていたが、それが一変してまた家族と暮らすことに。
姉は秋田にいるが結婚し、兄貴は福島にいるので、親との3人家族。ごく一般の家庭だと、3月に理学療法学科を卒業した我が子が就職もせずに実家に帰ってきたら「資格があるんだから働きなさい!」と言うところだと思うが、特に何も触れられず、完全に放置。(笑)
「まあゆっくりね、焦らず。」みたいな感じで、「お、おう。」とぼく自身も戸惑う感じだった。まあでもあの当時の自分を今振り返ると、たぶん正常ではなかったと思う。
「自分の想い」を打ち砕かれる経験はやっぱり辛い。高校生の時に甲子園に行けなかったあの時と少し似ているかも。その直後は前向きになれるけど(なったような気でいれるけど)、日々ボディブローのように思い出す。
その現実から逃げるように、違うことに熱中しようとするが、なかなか見つからない。でもそうやって感情が行ったり来たりしているのは自分だけで、他の人は前に進んでいる。
色々な方面から話や出会いがあっても感情は追いつかないし、ちょっとのことで疑問を感じる。自分の中にずっと残っているシコリみたいなものが、自分が前に進むのを妨げている感じがついこの前まであった。いや、今も少しあるんだろう。
お互いの配慮
ぼく自身、強い自分でいたいと思う。「強い」という表現よりかは、「前向き」かな。「いつも前を向いている、明るいヤツ」でいたいと思っているけど、まあそうもいかない時だってある。
どんだけ「自分のことを思って言ってくれているんだろうな」というメッセージでも、傷つくときは傷つく。「お前のこと思って言ってるぞ」のなかにも、最低限の言葉遣いや配慮は必要だと思う。これは散々怖い人に触れてきて、散々怒られてきた僕が言うから、たぶんそんなにズレていないと思う(笑)
ただ、ぼくら世代はそれに甘えすぎてもダメ。自分の状態を理由に足を止めたらダメだと思うし、泥臭いこともやらないといけない。「上の世代の人は自分たちにキツイことを言いづらい」ということに自覚的にならないといけないとも思う。ぼく自身、それはすごく意識して仕事をしようとしている。
今の時代はこんな感じの”お互いの配慮”みたいなものがすごく大切になっているんだと思う。
直接的なメッセージが言いづらい時代だからこそ、お互いの間に生まれる余白を気にかけて、配慮しながら関わっていく。そんなことをぼくも大切にしながら、生きていこうと思う。