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【質問】ヤングケアラーへのアプローチ/当事者が自分らしく生きるには/あるがままを愛する

質問に答えていきます。


◾️ヤングケアラー

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ヤングケアラーについて教えてください。
ヤングケアラーの中には時折、ご両親やご兄弟の介護をしているがために引きこもりがちになり、学校に行けない、行かない、職場に行かない、行けない人がいます。
そして友人も少なくなってしまう人がいます。
彼らの生活環境を知れば、無理やり学校に行かせたり、職につくように仕向けることは難しいです。
ですが、どんな形であれ、社会に参加でき、健康的な暮らしができるようになってほしいと思います。
先生のところでもヤングケアラーさんの受診はございますか?
アプローチの仕方を学びたいです。
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ヤングケアラーの患者さんは結構来ます。

元ヤングケアラーの患者さんもいるし、現時点でも家族の介護や看護を理由に自分の人生を犠牲にしている人はたくさんいます。

結構いるんですよ。

本当にバーッと思い出しても普通にいます。

子どもの時にヤングケアラーで今は結婚しているけれども、夫と比べて自分がパート職なのはキャリアを積めなかったからだ、ヤングケアラーだったからだ、というのもあるし。

そういう人もいるし、現在進行形で妹や兄弟の世話をしなければいけないから結婚を諦めているみたいな人もいるし。

自分の人生を生きられない人もいます。

究極的に言ったらカサンドラ症候群みたいな形で、夫のケアをするために、介護や看護をするために自分の人生を生きられない人もいるし、パートナーの介護をしている人もいるし、奥さんがボーダー(境界性)の人で自殺未遂を繰り返すから仕事に行けなくなってしまってる旦那さんもいるし。

色々います。

どういうアプローチをするのかということですけど、基本的に精神科の治療というのはいつも一緒、仕方がないと思うようになること、そして生まれてきてよかったという瞬間を増やすことです。

なので冷静になって、今後どうしていくのか、だいたい目先のことで一生懸命で、先のことが考えられなくなっていることが多いので、冷静になってもらって、こういう人もいるんだな、病気ってあるんだな、たとえ家族といえども救いきれないものがあるな、仕方がないんだなと思えるようになっていく。

その上で、でも自分は家族のために生きたいんだなという家族主義というか共同体主義みたいな形の価値観であれば、そちらの方にシフトしていくことを僕らはサポートしていくし、個人主義の人、自分の人生は自分のために生きたいなという価値観の人であれば、それを今度はサポートするというのが精神科医ないし支援者のあり方かなと思います。

なかなか難しいですね、どっちがどっちか。

でも現実はそんなに単純な話じゃなくて、やはりなかなかスパッと切り分けられることでもないので、葛藤しながら「どっちがいいんだろう?」ということで悩むんですけど。

でも基本は仕方がないと割り切るというか、割り切るように自分の心を鍛えていく。

その上で、どうしていくんだろう、別れがたいが別れるのか、それとも、やはり自分はこういう人間なんだということでケアしていく側に回っていくのかを決断すればいいのかなと思います。

結局この問題は、個人で解決するにはあまりにも酷な問題でも同時にあって、臨床的にはその場その場で自分たちで頑張るしかないんですけど、中長期的に見ると社会全体で解決しなければいけない問題でもあるんです。

核家族化してしまって、家族の責任、家族の負担が強すぎるんです。

家族ではなくて社会全体でケアしていく、病気の人であり、子育てであったり、社会全体でもうちょっとケアしていく、フォローしていくという体制を作っていく必要があると思うので、だからこそヤングケアラーという言葉が流布しているし、どういう形で社会がサポートできるんだろうかというのを今模索して、法律だったり制度を作っているという段階になります。

今はもう家族が面倒を見ないんだったら生活保護だ、みたいな感じになってしまっていますから。

◾️当事者が自分らしく生きるためには

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患者当事者が自分らしく生きるためには、自分を理解してもらう一方で、大多数の人のニーズを理解し、自分をわかってあげることをするのが良いと思うんです。
お互い様だから。
それを実行するためのポイントを教えていただけるとありがたいです。
こんな考え方したらいいよ、というような。
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ということですね。

なるほどね。

結局、自分が知っていること、他人が知っていること、自分を真ん中にするか、自分が変わっている人だったら、他人Bとしましょう。

他人A、他人B、他人Cは重なるところが多いよね。

でも自分はちょっと違う。

この他人AとBとCと自分が重なるところはここ(非常に狭い領域)なんですけど、そして自分が重なるところというとここ(非常に狭い領域)になるんだけれども、これって何?ということですよね。

多くの人たちは、今は多様化の時代なので、それぞれ別のものを見たり、別のものを考えたりしていることが多くて、共通する部分がどんどん減っているんです。

共通するものが減っている中で、それでもなお残っている共通的なものは何かというと、それが常識、礼儀だったりするんです。

ある意味、歴史的な文脈があるものということになるので。ではポイントは何かというと、常識的で礼儀正しくしろということなんです。

えっ!と思うじゃないですか、それがわからないから苦労しているのにって思うかもしれないですけど。

逆にそれだけ押さえておけばいいんですよ。

普通にしろというよりは、常識と言われていることを押さえておきなさいということでしかないんだよね。

定型の人は常識などを考えずに何となくやっていれば合わせられるところがあるんだけれども、病気やマイノリティの人、海外に住んでいるとき、異なる文化圏の場合は、その文化圏の中で最もスタンダードとされることをやる。

その文化圏の中で最もスタンダードなことをする、つまり常識的なもの。

その中で最も美徳とされるもの、正しいもの、美しいものとされることをする、いわゆる美徳の追求ということになる。

礼儀正しいということになる。

それがもう集約されているんだよね。

だから、礼儀正しくいればいいよというのは思います。

それは僕も自衛隊で学びました。

◾️児相における精神科医活用の実態

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児相における精神科医活用の実態について取り上げてほしいです。
多くの子どもが家庭にいた頃は元気だったのに、PTSDなどと診断されて精神科の薬を投与されて、何年も経ってようやく家庭に帰ってきたとしても、希死念慮を抱いて身体も心もボロボロになっています。
また、こうした未成年の子どもへの精神科の薬の安易な投与についても取り上げてほしいです。
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これも結構難しいですね。

家だと問題がある。

家にいてもDVや虐待を受けている場合、育てにくい子どもである場合、児相で保護してもらった場合、親以上にうまく外の人が育てられるのかというと、親より育てるのが下手な可能性ももちろんあるよね、ということです。

親が育ててもボロボロになったけれども、外の人が育てたら死ぬことはないけれども、死ぬような大きな事故にはならなかったけれども、やはりボロボロになったということです。

家にいたらそのまま家族の中で愛憎入り交じってボロボロになる、殺人事件みたいなことがあったりすることもあるし。

じゃあ家族の外だったらどうかというと、やはり育てにくい子どもだから、それなりに傷ついてしまうということになるのかなと思います。

結構難しいんですよね。

育てにくい子どもというのはどうやっていけばいいのかというのは人類の未解決問題の一つなんだろうなと思います。

じゃあ育てにくい子どもに対して薬が増えていっている、薬を使ってコントロールしようと大人がしてしまう、他人がしてしまうことの問題というのを考えると、これも一つの大きい問題だなと思います。

薬でちょっと鎮静をかけてあげるということが、本当にその子のためになっているのか、ということです。

でも、それがないと赤の他人には育てられないかもしれないし。

ここら辺の兼ね合いというのもすごく難しいですね。

正解はないです。

本当にトロッコ問題というかジレンマというか、そういう感じです。

育てにくい子どもを親以外の人が育てるときにどうしたらいいのかという究極の問いということになるんでしょうけどね。

◾️自分にいつも温かな対応をしてくれる人の言葉

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自分にいつも温かな対応をしてくれる人の言葉は聞き入れられます。
いつも変わらない対応、自分のためにしてくれている対応、それが他の人にもだとなおさら信頼感が深まります。
そんな人の話は、わかってもわからなくても自分もやってみたいと思い、頭で考えることなく素直に行動に移せるので身につくように思います。
それは嬉しさを伴う自分にとって最高の治療みたいに思います。
この考えについてドクターのお考えを伺えましたらありがたいです。
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そうですね。

精神科の患者さんのどれぐらいの割合かはちょっとなかなか言いにくいですけど、やはり愛情をうまく注がれなかった、あるがままを愛されてこなかった人たちというのはいます。

そういう人にとって、あるがままのその人を肯定してくれるという体験はすごく重要だったり、とろけるような思いがしてしまうということがあります。

そのとろけるような体験が治療上いい方向に向くこともあれば、向かないこともある、と。

これが人間の難しいところですね。

決してそんな単純じゃないというか。

でも、あるがままを愛そうと思っても、親の能力が低かったり、力がなくてあるがままを愛せなかったりということもあるし。

子ども自身があるがままを愛してくれていても、自分で自分にプレッシャーを与えて、あるがままの自分を愛してあげられなくて、でも自分で作ったプレッシャーを、自分で作っているにもかかわらず親が作ったんだという風に錯覚してしまう人間の脳の愚かさみたいなのもありますから、何とも言えないですけど。

でもあるがままを愛する、シンプルですよね。

精神科の治療はいつも言っていますけど、仕方がないと思えること、そして生まれてきてよかったと思える瞬間を増やすこと、この2点に尽きるわけです。

生まれてきてよかったと思える瞬間というのはどういうときかというと、一つはあるがままの自分が肯定されている、受け入れられた時です。

決して生まれてきてよかったと思える瞬間は、100万円稼いだ、宝くじに当たったという瞬間ではないわけで、やはりあるがままの自分を愛せた時ということになるんです。

ここがキーなので、それを意識してそのゴールに向かって治療を組み立てていくというのがいいんじゃないかなと思います。

ということで、今回は質問にお答えしました。

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