『天気の子』感想雑記

天気の子であり雨を降らせるのは雨男の帆高自身(帽子に龍神)

けれど晴れが存在理由になっていく(陽菜が晴れにするのは帆高がいるためで島にいた頃から晴れに対し憧憬を抱いている)

陽菜ではなく帆高の心とリンクして天気も変わる(陽菜は高天原と繋がってしまっている)ので帆高は二人の存在理由としての晴れを望むようになっている

つまり天気を変える代償は雛が体を失うことではなく天気の子である帆高が雛を失うこと。

東京に雨が降り続けるのは陽菜のいない孤独を受け入れたため、ラストの晴れの布石。

言の葉の庭同様、雨は孤独で一人で生きていこうとする人間を閉じ込めてしまうものとして描かれているので晴れは人と人との繋がりを表している。
つまり帆高が孤独や閉塞感、焦燥感をもつときに雨は降る

それを狂った天気に変える、人と人、空と地上をつなぐのが陽菜の役割(天照大神?)

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