わさヲ

アニメや映画の妄想を徒然なるままに書き残します たとえ一人でも共感にふれることを願っています

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『明日のナージャ』26話、あの細田守が手がけた伝説の神回を語る!

言わずと知れた(?)名作『明日のナージャ』 本作を知らない方はこのページに辿り着きようもないので説明は割愛する、記憶が朧げな方はお手持ちの検索エンジンを駆使してみるといい。 今回妄想解説をしていきたいのはその作品において「神回」と名高く、もはや伝説と形容されるこちら 第26話「フランシスの向こう側」 スペインのグラナダを舞台にした回。想い人である貴族のフランシスに偶然再会したナージャはそこで特別な一日を過ごす。しかし実は彼はフランシスではなくその双子の兄キースであり、

    • 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』感想

      「笑えないジョーク」 一言で言えばこの映画はそうだろう。 ジョーカーはなんでもジョークに変える存在なのにジョークにできなくなったアーサーに始まる。 つまりエンタメに期待する方がおかしい、ということが隠されたメッセージなのか。 オープニングのアニメは自身の影によって酷い目に遭う話=フォリアドゥのストーリーそのものを意味する。 前作は現実と妄想の区別がつかなくなる演出(キングオブコメディのリスペクト) 今作の妄想ははっきりしている→ミュージカルは唐突に始まり唐突に終わる。 ア

      • 『もののけ姫』感想雑記(途中で尻切れ)

        まずもののけ姫には様々な立場同士の対立があるが大きなものと言えば人対神(自然)だろう。 西の地のタタラ場とシシ神の森、そこに住まう人々と長エボシ、神々とそのうちの人間の娘サン、そこに東の地から来たアシタカを始め都から遣わされたジコ坊達一派が絡むわけだがそれぞれには業がある。 人間としては自らの私利私欲のため森を切り水を汚し挙句には神殺しまで謀る。対して森の神々たちはモロや乙事主らはそれぞれが背負う矜持のため牙をむく。どちらの立場にも道理はあるがそれは破壊、つまり奪う行為でし

        • 『秒速5センチメートル』感想雑記

          昔見た時は秒速って切ない話だなと思ってたけど改めて見るとそれだけじゃなく解放感のあるエンドだよな 新海の描く男女はいつも織姫と彦星なんだよな。 二つの円環がすれ違う瞬間と離れる瞬間の物語で秒速はその二人の距離(スピード)が小さなズレとなって文字通り秒速5センチメートルで進んでいってまたすれ違う瞬間の時間(スピード)を季節と歳月でもって描かれてる。桜の花びらの落ちるスピードは心が近づいていく速さでもあり離れていく速さでもある。 時間や距離と一緒に描かれるのがロケット。 コス

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        • オタク雑語り
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          『君の名は』感想雑記

          これまでの新海作品ですれ違いが描かれてたのはそれぞれが周回軌道にのった星だからなんだよね、織姫と彦星が出会うけどまたすれ違うっていうズレと重なりのラブストーリーなわけだけど君の名は。はその軌道が糸(紐)だから何周も重なって結ばれるわけよ。だからハッピーエンドに然るべきってこと。 たしかに説明口調な内容やスタッフが様変わりして大衆向けになった部分はあるしRADWIMPSの楽曲で全体がミュージックビデオみたいになってはいるけど、アニメ映画界においては分岐点だよね。もうこのレベルの

          『君の名は』感想雑記

          『言の葉の庭』感想雑記

          雨が二人を合わせる特別な時間であると同時に閉塞的な時間でもある、物語(二人それぞれ)の進展は晴れの時に進むから ただ雨は2つ逆の要素を持っていて男の場合自立していて自分に向き合うための孤独で女は一人になることを受け入れなければならなくなった悲哀の孤独 男が女に惹かれていくのは靴が自立と幸せの象徴でそれを作るのが自分のためでなく相手のために捧げるということを自覚していったから 女は逆に靴は二足で一つ、つまり自分と支え合う誰かという依存(生徒の恋愛、同僚と不倫)から脱却しよ

          『言の葉の庭』感想雑記

          『天気の子』感想雑記

          天気の子であり雨を降らせるのは雨男の帆高自身(帽子に龍神) けれど晴れが存在理由になっていく(陽菜が晴れにするのは帆高がいるためで島にいた頃から晴れに対し憧憬を抱いている) 陽菜ではなく帆高の心とリンクして天気も変わる(陽菜は高天原と繋がってしまっている)ので帆高は二人の存在理由としての晴れを望むようになっている つまり天気を変える代償は雛が体を失うことではなく天気の子である帆高が雛を失うこと。 東京に雨が降り続けるのは陽菜のいない孤独を受け入れたため、ラストの晴れの

          『天気の子』感想雑記

          『きみの色』を観ての感想雑記

          光の三原色RGB=白→your color=無垢 きみのルイの二面性 きみ→大きめのファッションやロゴ=虚飾、見栄 ルイ→目隠れ=無邪気さと真面目さ とつ子はストーリーテラー 二面性のないキャラクター(嘘をつけない、下手) 誰にも感情移入ができない構造 主語の小ささ 主人公不在の物語=あなたの物語 青春劇は時間を刹那と捉えメインに据える、過去の肯定 ↓ 時間、季節過ぎるのが一瞬、結果だけが残る。 時間の流れを感じさせない演出。突然上手くなる、曲ができる、仲良くなる  

          『きみの色』を観ての感想雑記

          『関心領域』を見た話をした話

          話題の映画『関心領域』を先日観に行ったのち、知人と話したらたまたま彼も観に行っていたらしい。だが映画の意味は分かったけど何が面白いのかよくわからなかったということだったので以下、その時話した自分の感想です。 ところで『関心領域』ってどんな映画?↓ アウシュビッツ収容所の隣で暮らす平和な家族の日常を描いた映画だが終始聞こえてくる悲鳴や銃声、その反対にあまりにも健やかで美しい家族の団欒… おそらくシンプルな感想としては「凄惨な悲劇を知りながら見て見ぬふりをする無関心さへの警句

          『関心領域』を見た話をした話

          【ネタバレ】「君たちはどう生きるか」感想

          これが宮崎駿最後の長編アニメかと思うとわたしは泣けた。 『風立ちぬ』を見た時も泣けた。あんなにも彼が好きで、夢中で描き続けた飛行機と少女が儚くも自らの思惑と違う結末を迎えるあの人生観の描き方に泣けた。 今作も同じことが言えると思う。これは彼の「けじめ」なんだと。 日本中の人々に影響を与えたアニメの巨匠が穏やかな老後を迎えるはずもなく、やはり我々に衝撃を与えまたメッセージを与えてくれた。 『君たちはどう生きるか』その君たちとは私のようなアニメオタクを指すのか、次世代の子供達を指

          【ネタバレ】「君たちはどう生きるか」感想

          アニメ『ぼっちざろっく』感想雑記

          中身は平凡なきららとそう変わりないのになぜ受けたか、その時代性 令和のけいおんとは言い得て妙。 視聴者の立ち位置はどこにあるのか ぼざろにあるものはある種の共感、というより作品側から視聴者を受け入れる、呼び込む部分にある 個の時代に生きる若者は共同体価値観に身を置くよりも克己する何者かに自分を重ねることによってそこから共感やカタルシスを得る ぼっちちゃんの機能はある種の投影、それも現代のオタク、インキャの象徴といえる ぼっちちゃんは誰からも否定されず肯定もされない存在である

          アニメ『ぼっちざろっく』感想雑記

          デザイナー高畑勲のアニメイズム

          スタジオジブリのアニメ監督であった故・高畑勲、そして宮崎駿。 彼らのその作品たちはあまりにも有名であり、それらは両監督において実に対照的で面白いものばかりである。 ジブリ作品の中で宮崎駿にあって高畑勲にはないもの、それは「主観」である。 それは作家性やメッセージ性と言った作品に込められた内在的なものだけではなく、観客である我々と作品、そして作り手とを繋ぐ「窓」を通すことによって見出すことが出来る「自己」を指すものだ。 先に宮崎駿作品をみると彼の思想、または哲学が色濃く出

          デザイナー高畑勲のアニメイズム

          『明日のナージャ』26話「フランシスの向こう側」

          本稿は『明日のナージャ』伝説の神回と言われる26話のあらすじです。 物語は晴天のスペイン、この日のあまりの暑さにダンデライオン一座の面々は口々に「シエスタ」といい昼寝に興じている。せっかくの晴れの日にじっとしていられないナージャは街へ散歩に出かけるがスリに大切なブローチを盗られてしまう。 追いかけた先でブローチを取り返してくれたのはナージャの恩人であり想い人でもある星の瞳のナイトであった。 彼、フランシスと偶然この街で出会えたことに奇跡のような運命を感じたナージャはシエス

          『明日のナージャ』26話「フランシスの向こう側」

          自己紹介

          はじめまして。 こちらはアニメを見ること、いわゆる「エモい」アニメが好きな自分が偏見や妄想を交えながら感想考察を綴っていくノートです。 今の時代はアニメの考察や解説、感想をまとめた記事やブログなどYouTube動画すらも作品の数だけ筆者の数だけ無数限にあります。 その中にはあらすじだけをまとめた子供の読書感想文のようなものもあれば文献や古典に寄せた学術的見地に基づく解説もあります。 私はここではあくまでも「妄想」に寄せた書き物を残していきます。 作品にはもちろん作り手の

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