読書メモ:百貨店で趣味を買う

私の場合、基本的には直感的に欲しいものだけを買う。しかし、書籍の場合はちょっと違う。若いころは本を買いたいと思ったこともないけれど、年齢と共に書籍の購買量が増えてきた。そして書籍だけは直感的な欲求でというよりも、打算的で建前ありきで買ってしまうことに何か引っかかっていた。自分では気づけなかったその購買心理がこの本で少し見えた気がした。そして、私自身のそこそこある消費活動の歴史を振りかえってみても、カタチこそ変われど人の消費行動の原則は変わらないのかなと思った。商売人としては変化していく次のカタチをいち早く把握したいし、なんなら創り出したい。それを実現してきた昔の企画力ある百貨店が面白い。

・・・・以下は個人的に気になるフレーズのメモ・・・・

茶の湯文化から大名茶、武家社会の教養としての茶の湯の浸透。江戸中期、安定した社会の中で茶の湯が町人にまで広がり大衆化。このことが茶の湯の遊芸化や行き過ぎた「侘び・寂び」に向かい、幕末維新にかけて衰退に向かう。

茶の湯の原理
1.新しい美の発見を目指す目利きの精神
2.身分階層の峻別を基本とする、封建道徳に対する無差別平等の理念
3.分限思想に集約される富の原理と、これを破壊しようとする貧粗の精神

熊倉功夫『近代茶道史の研究』

目利きの精神は選んだ道具類に反映される
精神的世界の追求にもかかわらず、それを証明するには消費するかないのか。

維新後に復興した茶の湯は芸術的なものへの志向、数寄者たちの生活としての茶。諸々の芸道を含む総合生活。発展させたのは当時の実業家。彼らは生業の傍ら趣味で茶道を楽しむ。そしてこの生活としての茶の大衆化。地方から上京してきた人(新中間層)たちが獲得する趣味の対象。

ホワイトカラーの新中間層。上流階級のような教養がないので、その文化的資本(良い趣味)の欠如を手っ取り早く身に纏うために商品を購入。彼らの憧れは西洋的理想モデルとしての紳士であり、その紳士になるためのファッション。(カタチからはいる)

明治後半、欧化政策の反動で江戸趣味が一部知識人の間で復古。精神的な理想像として武士道が注目を集める。この武士道は歴史文脈と切り離されたものであった故に西洋的紳士像とも絡み、うまい具合に日本の近代化の文化戦略が可能になった。おかげで武士階級出身の明治男性たちの本来の武士道から外れたファッションに対する消費のハードルが下がった。

生産と消費という車輪が効率よく回転するためには『趣味づくり』というシステムの潤滑油を補給しなければならない。

ペニー・スパーク『パステルカラーの罠』

鑑識眼のない中間層に誠意をもって信頼のおける商品を提供することが百貨店の使命。中元・歳暮などの季節の挨拶などの贈答習慣は贈り主の趣味が問われる。中間層にとっては、趣味教養の高さをアピールできる好機。美術工芸品の需要高まる。美術品は百貨店にとって何よりも趣味の良い生活を実現するためのツールであった。

明治中期。風流=良き趣味としての江戸的な美意識全般

西洋では工芸が絵画や彫刻に比べて低い地位にあったため概念再編の指標が弱かった。日本では絵画・彫刻以上に工芸が日本美術の歴史の中で広くかかわり、絵画・彫刻を含む包括概念であった。工芸は美術と明確に区分されることのない生活芸術として認知されていた。

男性は理性的で知的な消費者であるという創られた社会観念が、精神性をここだわりや本物志向と言い換える建前を必要とした。一方で当時の女性は受け手としての消費者。女性たちに向けて仕掛けた流行も男性によって創られたものだった。しかし戦後、夫不在の家で自由な時間を獲得した主婦たちの趣味活動によって生活環境を自分好みに変えていく。

趣味>マニア>オタク>推し活
趣味に向けられたエネルギーは、大衆化の中でとどまることを知らないキッチュを増殖させている。


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