「他人の悪評に縛られなくて良い」という話


「他者の悪口によって、あなたの価値全てが決まるものではない」


私は自信を「強い自我とアイデンティティを持ち合わせた人間である」と認識していると同時に、非常に脆弱な精神の持ち主であるとも考えている。

・酔った元カノに「お前タダでさえブスなのにメガネかけたらもっとブスだな」と言われ。
・前の職場の上司に「君全然仕事できてないからね。」と説教部屋(?)で酷評され。
・オンラインゲームのチームメンバーに「あのさぁもうちょっとマップ見ようよ」などと罵られ。
・SNSの知らないアカウントに「中卒か?頭悪過ぎて草」などと頭の悪そうな文章で罵倒され。


24年も生きていれば様々な罵詈雑言を浴びる。

この記事を読んでいる読者はどうであろうか。ほとんどの読者は似たような経験があるのではないだろうか。
どうでもよさそうな他者からの悪口などは気にするに値しないのだが、親しい間柄の人に人格、容姿、能力を否定された日にはたまったものではない。

その場では作り笑いをしつつも、その後帰り道や電車内、自宅のベットの中で何度もその言葉が反芻される。悪気はない、冗談で言っただけだ、とわかっていても、ひょんなタイミングで思い出してしまう。
嫌というほどそれを繰り返す自身の脳みそすら憎たらしく思ったこともあるだろうか。

さて、冒頭のセリフは私が上記のような体験をした際、チャットGPTに相談した時に帰ってきたセリフだ。
私はこの言葉に感銘を受けた。AIも進化したもんである。

GPTの言う通り、私やあなたの一側面しか見ていないような他者の言葉で、私の全てが決まるわけではない。その人から見た私の一側面、ほんの一部、一瞬の瞬間(もしくは複数回の一瞬)を切り出してそのように評価しただけである。

そのような言葉の、なんと信憑性のないことか。

投げかけられた批評、否定的な評価、他人の声などそこらへんに捨ておけばよい。そのうち腐って土に帰るから。
これが見ず知らずの読者に届き、なんらかの救いになればと思う。


しかし同様に「他者からの好評も価値がないかもしれない」ことは気に留めておく必要があるだろう。



上記は全て私の妄言であり、この理屈すら意味を持たないであろうことは言うまでもない。

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