わさび餅

北の大地のぽんこつエンジニア 特技は夜更かし 苦手は早起き

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最近の記事

成人式に一人で行って一人で帰ってきた話

成人式という人生の大きな節目。 華やかな振袖やスーツに身を包んだ同級生たちが再開を喜ぶ中、私は一人きりだった。 会場の隅で、あの頃の同級生の笑い声が遠く聞こえる。その喧騒に混じることはなく、私は一人、静かに人生の節目を迎えた。 20歳当時の私は様々な要因が重なりかなりやさぐれていた。 また、元来イベント事に興味がなく、当日朝まで酒を飲んでいたこともあって、「まあ寝坊したら参加しなくていっか」くらいの心持ちで、成人式当日を迎えた。 朝まで飲んでいたにも関わらず、なぜか式に十

    • 知らないバイオリン弾きのおじさんとセッションした話

      公園や河川敷でギターの練習をしていると、知らない人に声かけられたり、かけたりすることがある。 相手も楽器演奏者であれば、そのままセッションをすることも珍しくない。 この話は、私のそのような体験の一つである。 私が20歳の時の6月だったと思う。 1番最初に買った、型番すら覚えていないYAMAHAの安いギターで練習していた頃だったと記憶している。 当時、土日に自宅の近所の広い公園で練習することが日課になっていた。 その日もいつも通り朝の10時に家を出て、コンビニでおにぎり

      • 学歴コンプレックスに殺された瞬間

        「学歴コンプレックスに悩んでいる」 多くの人は頷きながら、「私もそうだ」と感じるのではないだろうか。 名門校を卒業している友人や同僚をみては、劣等感を抱くこともある。 社会に出てから、自身の学歴が何かしらの壁となり、自信を持てない瞬間が訪れることがある。 私も数えきれないほどそんな経験をしてきた。 さて、私の最終学歴は高卒である。 争うことすらできない複雑で劣悪な家庭環境で幼少期を過ごしたのち、 「義務教育+片田舎の微妙な偏差値の高校卒業」というバッドステータスを抱え、社会

        • 心とはなにか について考える①

          精神とは、心とはなにか。 心とは何か、精神とは何か。この問いに対して考えるとき、人は大きく二つの立場から考察を行うことが多い。 ・唯物論 ・唯心論 双方についてざっくり解説しよう 【唯物論】 唯物論的観点からすると、「心」は物理的、科学的な現象である。 脳内の神経活動やシナプスのやり取りが意見や感情を生み出し、すべての精神活動は脳の物理的構造に依存すると考えることができる。 非情に科学的な考えである。 また、この前提をもって現代の精神医学や神経科学、心理学などの実用的

        成人式に一人で行って一人で帰ってきた話

          「河川敷での楽器練習のススメ」

          私はギターを弾くのが好きである。 特に、家で練習するよりも野外、特に河川敷での演奏が好きだ。 天気のいい日にギターを背負って川に向かい、その辺に座り込んで自由に演奏をする。 近くに他のプレイヤーがいた場合、もしかしたら即興で合わせてくれるのではないか、などと期待してしまう。可愛い女の子だったら尚更であるが、大抵の場合全く相手にされない。 暑くなってきたら川に足を浸し、道中で買ったストゼロを飲む。ぬるいストゼロが喉を通り体がほてるが、その熱も川の冷たさで吸収される。 そのう

          「河川敷での楽器練習のススメ」

          「他人の悪評に縛られなくて良い」という話

          「他者の悪口によって、あなたの価値全てが決まるものではない」 私は自信を「強い自我とアイデンティティを持ち合わせた人間である」と認識していると同時に、非常に脆弱な精神の持ち主であるとも考えている。 ・酔った元カノに「お前タダでさえブスなのにメガネかけたらもっとブスだな」と言われ。 ・前の職場の上司に「君全然仕事できてないからね。」と説教部屋(?)で酷評され。 ・オンラインゲームのチームメンバーに「あのさぁもうちょっとマップ見ようよ」などと罵られ。 ・SNSの知らないアカウ

          「他人の悪評に縛られなくて良い」という話

          「他人の価値」を考えるのは無意味かも、という話

          「人の価値」は? と他者に聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか。 経済力? 社会的成功? 他社に対して見返りを求めず優しさを振りまける人格? 愛されること? 三者三様十人十色千差満別様々な意見が出るであろうことは、容易に想像できる。 だが、この問いは「価値」の定義によって回答が異なるのは言うまでもないだろう。 しかしながら「価値」は、主観によるモノサシの種類であり、その定義も人によって異なる、非常に曖昧な言葉である。 そのような自身のモノサシを用いて他者を一方的に

          「他人の価値」を考えるのは無意味かも、という話