休職期間に得たもの
ついに来月、復職することになった。
ここまで散々復職か転職か退職か悩んでいた。
正直正解はわからない。というか、転職はうまくいかないし、退職する勇気もないし、ずるずるしてたら復職しか選択肢がなかったという方が正解かもしれない。
昨日、面談に向けて資料を作っていて原因となったことや対策など自分と向き合う時間があった。
何だかすごく疲れてしまって、提出したあと寝てて気付いたら21時だった。
やはり身体は正直だ。
心ではあまり先のことは考えないようにしていて、どうなるかもわからない。ただ時が来たらそれを受け入れるしかないと思っていて、今この休める状況に感謝して、本当は規則正しい生活をしないといけないんだろうけど、思いっきり惰性な生活をしている。
身体は拒否反応を示しているようで、風邪もひいたし、何だか寝れないし、鬱々としている。
だけどもうこればかりは仕方ないと思っている。
時が経てば解決するであろう問題はもうすでに解決していて、あとは乗り越えられた先がどうなるかだと思う。
逃げてばかりではいられないし、乗り越えられるか自分を試してみたい気持ちもある。
もちろん、我慢せずに辛くなる前には退職するなりやりようはいくらでもある。
書いていて、強くなったなあと思う。
昔の記事を読み返していたら、逃げることばかり考えているようにみえた。
逃げるというと言い方はよくないけれど、尾道に移住したいとかちょっとだけ非現実的な選択肢を作っているようにも見えた。
もちろん移住はいつか叶えたいと思っているけれど、今この仕事ができない段階で移住するのは違うと気付いた。
移住するときはちゃんと前向きに、次の人生のステップとして進みたいと思う。
今自分の中にある、「心身ともに健康にほどほどに働く」という最低限で最上級であるこの目標をまずは叶えたい。
仕事終わりに、自分のお金で美味しいお酒やご飯を楽しみたいし、休職中にたくさん支えてくれた恋人に恩返しをしたいし、旅行にもたくさん行きたい。そういう働いた上での対価を求めていきたい。
今、「働く」ということに対してはかなり前向きになっている。ただ、前の組織に戻って、せっかく生まれた前向きなこの気持ちが消えていくのが怖い。消化したくない。そう思っている。
環境がよくなりますように。
今は願うしかできないけれど、この気持ちが生まれたことは休職期間は自分にとってこの上ない大きな対価であり、必要な時間だったのだと思う。
話は変わるが、最近嬉しくも「満たされているな」と感じる瞬間が増えた。
元々ネガティブな思考回路を持っていて、何かが満たされると別の何かを求めていて、常に何かが足りないという状況にずっと苦しめられてきた。
だけど今は、不思議とそう思う瞬間が減った。
お金もないし、仕事もできてない。同世代で仕事をしながら子育てをしていたり、昇格している友人と比べたら、満たされている状態とは言えないだろう。
それなのに自分はとても満足している。
なぜだろうと考えた時に、
・自分軸で幸せの基準を考える
・全てがバランスよく満たされていることが自分にとっての幸せだと考える
・他人と比較しない
などが挙げられる。
以前はとにかく人と比べていた。人と比べて自分は不幸だと思っていた。だけれど今は、自分にとっての幸せと他人にとっての幸せのベクトルは違うことに気がついた。
他人の状況が世間的にみて幸せに見えても、自分にとっての本来の幸せであるかと問われたら違和感がある。それに気付けたのが大きい。
あとは何か突起して満たされるものがあることよりも、全てが程よく、バランスよく満たされている方が自分は幸せに感じるタイプであると気付いた。極論、自分や家族が健康で暮らせていたらそれ以上の幸せはないし、求めない。雨風凌げる家があって、みんな健康で、一緒にごはんが食べられる。そんな当たり前の日常こそが、自分にとって最大の幸せである。
それに気付けたから今の自分はとても恵まれていると思う。
仕事をしていた頃はそれに気が付けなかった。
だからこそ、家族や恋人に感謝を伝えていきたいし、当たり前を当たり前だと思わずに、日々に感謝をしていきたい。
これは今後、働いてからもずっと忘れないでおきたい気持ちだ。
今、何のまとまりもなくただ自分の気持ちを文字にしているから読みにくいと思うが、変に文体気にして書くよりも自分的にはこの方が赤裸々に書けるからいいのかもしれない。