絶対にAIにできないバスドライバーの話
10年後には今ある仕事の51%は機械に取って代わられると言われています。
(実はこの予想は正しくはないらしいのですが、論点がズレるのでカットします。)
いずれにしても今あるうちの半分の職業は代替が簡単だということです。
バスドライバーという職業もその中の1つだと思います。
しかし半年前、教習所に行くときにお世話になった、”あの”ドライバーさんは絶対にAIなんかにはできない仕事でした。
愚痴(読み飛ばし推奨)
特に運転をしたいわけでもないのに親にいやいやながら行かされていた教習所。当時は教官にぼろくそ叱られて「こんなの行ってられねぇよ」という思いをしていました。
歩行者の目の前でアクセルとブレーキを盛大に踏み間違えて危うく殺人しかけた自分がいけないのですが。
家に帰って親に教習には行きたくないんだと言うと決まって「結婚したとき、車がないとほんとに困るよ?」と言われていました。
結婚する気はないと言って「え?じゃあ誰にも看取られずに独りで死んでいくの?」と返されるのがテンプレでした。
「あなたのためを思って言ってるの」的なノリで自分の価値観を押し付けてくる、一番質の悪いやつでした。(笑)
楽しませるバスドライバー
そんな自分の唯一の心の支えが、教習所のバスドライバーさんでした。
普通のバスドライバーであれば客を乗せて行き先を聞いて運転するだけですが、そのドライバーさんは違いました。
自分とそのドライバーさんとの間には会話があったのです。
教習所でもバスを利用する人は少数で、バスに乗ると一人になることがよくありました。
自分は毎日バスを利用していたため、そのドライバーさんとも顔見知りになり、毎日のように地元ネタで盛り上がりました。
バスが教習所の近くの自販機を通ったとき
ドライバーさん ここは教習所より安いんだよ
自分 本当だ!水とか80円じゃないですか(笑)
駅前を通ったとき
ドライバーさん ここ、前はスリーエフだったよね~
自分 懐かしい(笑) 近くにローソンできてからはそっちにしか行ってなかったです(笑)
振り返ってみるとどうでもいい話でしたが、教習が嫌いだった自分にとっては落ち着いて過ごすことができる、数少ない時間でした。
考えるバスドライバー
仮に自動運転の技術が進んでAIがバスドライバーの役割を担うようになったとします。
機械はバスを安全に運転したり、正確に駐車したりできる点では人間よりも優れているといえるでしょう。
一方で人間にしかないものもあります。思いやりです。
バスを降りた自分の安全を確認していてくれていたドライバーさんは歩く方向から、「バス停はないがルートの途中で降ろせばより家から近いのではないか」と言ってくれました。
自分としてはまさにその通りだったのですが、バス停でもないところで降ろしてほしいというのは自分からは言いづらいことだったので助かりました。
効率を求めるなら生徒をできるだけ早く乗せて早く降ろすというのがベストでしょう。
しかし自分にとしてはルールから外れても人のことを思いやる気持ちに「客=人」として扱ってもらっているんだと感じました。
おわりに
将来的には自動運転の技術が進んで、バスドライバーの仕事も機械に取って代わられるでしょう。
しかし状況に合わせて楽しませたり、考えて思いやりを持って行動したりすることはプログラムされたAIにはできないことです。
コロナ禍でオンライン化が進んだからこそオフラインで対面することの大切さを実感したという声をよく耳にしますが、これはその典型なのではないかと思います。
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