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格差の戦後史


「格差」はどのように生まれるのだろうか?

ふと、そんなことに興味関心を抱くようになったのはいつのことか。
富裕層のすべてが努力の結果で、貧困層のすべてが怠情が原因か。
機会の平等を言えば、どこで生まれるか、都市部か地方か、地方でもその差はいくらでも語れるだろう。親の職業や教育への関心などきりがない。

私の祖父は昭和6年(1931年)9月18日の柳条湖事件(満洲事変勃発)以前から中国へ派兵されていたと思われる。なぜ「思われる」と言うのか、それは、国が保管する軍歴と本人が持つ軍隊手帳の記載や写真を含めた所持品が合致しないからに他ならない。明治時代以降、日本の軍国主義や大東亜戦争(太平洋戦争)などの研究者に言わせれば、諜報活動を行う場合、民間人を装いながら活動するために、軍籍を抜かれることは珍しくないと言われ続けてきた。私の祖父が軍人だったときの情報を伝えると、10人中10人がそのような回答をするので、私はそれが何を意味するのか考えると頭を抱えながら布団から出られない日々をどれほど過ごしてきたことか。

戦争へ行かなかった者と戦地へ送られた者
(行かずに済んだといった方が正しい)
戦争へ行っても生きて帰って来た者と戦死した者
戦地で病気や怪我をした者と無傷だった者
恩給をもらえた者ともらえなかった者

戦中や戦後直後に生まれた人たちへ取材すると
大学進学者の親の多くは戦地へ行っていないことがわかった。
一方、金の卵と言われた中学卒業と同時に労働者として働きに出た者の親は
戦地へ赴き、恩給をもらっていない人もここに含まれている。
これは、何を意味するのか?

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