セレンディピティはつくるもの
今年は今までの人生で一番本を読んだ。
気になった記事は、全てリマインドで自分のメールに送った。
積ん読本や、まだ目を通していない資料はあるが、
不思議なことに、”いずれ必要になる時”があるのだ。
もう少し整理したいところだが、
脳内は常に180%のデータで溢れかえっている。
既にOver Flowしている80%相当は、
頭から入れたり出したりして、バーンアウトしないように保っている。
それでもあと20%は新たな情報が取れるように、少し余白をあけている。
気持ちの問題としても。
もうすでに溢れかえってるやん、といわれても仕方ない。
しかし、これくらいで丁度なのである。
先日、とあるコミュニティの方も言っていた。
「ローラーマシーンの上で止まったら、落ちる。
そのくらい学び続けないと、今の情報社会ではどんどん取り残される。」
そう、私は常にローラーマシーンの上で、
ペースに遅れをとりながらも、なんとか喰らいついてる(笑)
セレンディピティとは、
「偶然の産物や、幸運な偶然を手に入れる力」である。
それもこれも、先回り動いて、伏線を引いておかないと
手に得られるものではない。
棚にぼた餅を仕込んでおかないと、
「棚からぼた餅」にはならない。
餅にしても、
もち米焚いて、つかないと立派な食糧にはならない。
それと同じである。
今どんどんと仕込んである餅を、
ある時全部回収して、美味しいおはぎや、雑煮、果てはお煎餅にする。
涼平は、虎視眈々と準備しているのである。
(なりたい自分の解像度:63)
今日も書けるという喜びに、感謝。
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