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タネ。

私が大切にしているものは、タネだ。

タネといっても、種ではなくあくまでタネで、
ときおり「引き出し」とも表現されることもある。

かみ砕いて言えば、「経験」だ。

同じことを考えている人もいると思う。
「経験則」あるいは「失敗は成功の母」という言葉の通り、経験したことがあれば、次はより上手く対処できるようになるからだ。

しかし、私が経験を大切にする理由に、「次同じことがおきたとき、より上手に対処できるから」というものはない。

私が大切にしているのは経験ではなく、
あくまで「タネ」だからだ。

今回は、これについてゆっくり語っていけたらと思う。

自己紹介

では、なぜ私がタネを大切にしているのか。

シンプルに私が、「タネはよいものだから」と考えているからだ。
このままだとなんの説明にもなっていないので、順を追って説明しよう。

まずは自己紹介から。

私の名前は「コンパス」、子供の頃に読んだファンタジー小説に憧れ、小説家になりたがっている人だ。

今のところ書籍化はしていないし、そういった予定はない。
ネットに小説を投稿し始めてからおよそ1年半、元々はnoteだけに投稿していたが、今は小説家になろうにも投稿するようになった。

私がタネをよいものと思っている背景には、
今言った私の自己紹介が関わっている。


例えば、「植物を育てたこともないのに、植物育成の大変さについての物語を、今すぐに書きたい作家」について考えてみてほしい。

どうだろうか。
この作家は、キチンと上手に物語を書けるだろうか?



答えはシンプル、「普通に考えて、ムリ」。

植物を育てた経験がないなら、当然、
植物についての物語はかけない。

これにもとづいて言えば、「おもしろい話を書くためには、おもしろい経験が必要」と言える。
最初の段階で明確にしておきたいことは、これだ。

1年と6カ月前

とはいっても、最初から私がそう思っていたわけではない。

小説を書き始めたころの私は、
小説を書く上で大切なのは語彙力だと思っていた。

だって、文章で表現するんだから、キレイな文章かけたほうがいいじゃん。
                  (by. 子供の頃の私)

こう考えたわけである。
当時の私は、この考えを当然のものと思っていた。

大きく間違ったことは言っていない。
確かに、読みやすい文章なしに人は集まってこない。しかし。

読みやすさがキレイ、語彙力とイコールかと聞かれればそれは違うと思う。

語彙力があるということは、
普通の人が知らない単語をたくさん知っていて、
それをたくさん使おうとするということだ。

でも、普通の人が知らない単語を使ったら当然、読みにくい文章になる。


それに、考えてみて欲しい。

私達が物語を読む上で、
「あ、この文章きたないから読むのやめよう」
となるケースは非常に稀ではないだろうか。
よっぽど、伝わらないレベルで文章が下手な場合に限る。

大抵は物語が面白いかどうかでで、読むか読まないかを決める。

だから、物語を書く上で、
「語彙力は物語の内容より重要ではない」といえる。

1年と6カ月の変化

1年間小説を書き続けて段々その事実に気が付き始めた私は、

どうやったら面白い物語が書けるのか

について考えるようになった。
小説家になろうで人気、
つまり面白いと呼ばれる作品は『異世界転生』系だった。

強い主人公が、異世界を開拓し、敵を蹂躙し、ハッピーエンド。

かみ砕いて言えばそうなるだろう。
あまりにも読まれなさ過ぎて悩んでいた私は、
とりあえずその流行にのって、異世界転生を書いてみることにした。

そして、気が付いた。


「書けない」


理由はシンプルなもので、
どのように書いていいのかわからない、
異世界転生がどのようなものかわからない。

つまり私が、異世界転生を読んだことがないからである

最初に挙げた、
「植物を育てたこともないのに、植物育成の大変さについての物語を、今すぐに書きたい作家」の例に、見事はまっていたのである。

タネ

話を戻ろう。
私は、「私が大切にしているのは、経験ではなくタネ」と言った。

ここまで書いてきたのは、
私が経験を大切にするようになったきっかけについてだが、
結局、タネとは何か。

それは時折、ネタとも表現される。

タネに水や日光をやって植物を育てるように、
ネタを文章として書き起こし作品を作る。
経験だけで物語は作れない。

色んな経験をしてそれを活用して初めて、
経験はタネとしての役割を担う。

だから経験ではなく、タネ。


どのような経験がよりタネとして適しているかはわからないから、
私はできる限りたくさんの経験を取り入れようとしている。
小説を読むことも、その手段の一つと言えるだろう。

特に今年は、沢山のタネがあった。

コロナでイベントの多くが中止になるという経験は、
パンデミックに通じるものがある。

コンテストに応募して落ちたという経験は、
努力を書く上で必要不可欠だ。

一見してどれだけ悲しい出来事であろうとも、それは発想の転換一つでタネになるうる。
そして何より、これは小説だけに限った話ではない。

今日、私の話したことが、みなさんにとっての『タネ』になることを願う。

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