介護記録⑦ 嚥下・身体機能の低下
2019(平成31)年1月、とあるスキー場に居た際に、ショートステイ先のS園から電話が架かってきた。「さくらんぼの種を喉に詰まらせ、激しく咳き込み苦しみだしたため、吸引して取り除いた。大事を取ってH病院を受診します。良いですか?」との許可依頼だった。遠方に居たためお願いした。診察の結果、特段の心配はないとのことだったが、鎮咳去痰薬等(ジェニナック・デキストロメトルファン・カルボシステイン・カロナール)が処方された。この頃からよく噛まずに飲み込み、喉につかえてむせ込むことが頻繁になっていった。
自宅でも食事中に急に顔が青ざめて唇も真っ青になり、苦しそうになった事があった。何かを喉に詰まらせたようで、前屈みにして背中を叩いたが、吐き出せないし飲み込めない。これはまずいと思い救急車を呼んだ。S病院(何かと評判が悪い)に救急搬送されたが、到着時には胃に落ちてくれたようで正常に戻っていた。「処置は必要ない。本当に唇が青くなったのか?救急搬送も必要ない。」と、この程度で救急車を呼ぶなと言わんばかりに迷惑そうに言われた。評判通りの対応だった。
その後はかなり気を付けて過ごしていた。しかしある日、高野豆腐を喉に詰まらせてしまった。夫が背中側から抱えて、みぞおちあたりを拳で突き上げたり、背中を叩いたりした。しかしまたもや吐き出せないし、飲み込めない。母の顔はみるみる青ざめ失神した。2人で口を懸命にこじ開けて、私が喉に指を突っ込み必死で掻き出した。奇跡的に上手く取り除けた。けれどこの行為は本来NG。この時は本当に危なかった。夫婦でお互いの健闘を讃えあった。私達夫婦だからできたことだと思う。
陰部からツンとする嫌な匂いと茶色の帯下、白いプツプツとしたできもの、カッテージチーズのような白いカスが度々見られるようになった。Tレディースクリニックを受診した。看護士数人に手伝ってもらい、かなり手こずりながらようやく診察台に乗せた。診察では膣炎と心配ないできものであろうとのことで、組織検査を受け、10日分のフラジール腟錠とデルモゾール軟膏が処方された。後日検査結果を聞きに行くと、紙オムツ使用の高齢女性に多く発症する膣炎とのこと。改善しても繰り返すことが多いとのことで、予備の腟錠を更に10錠処方してもらった。この腟錠を挿入する際はとても痛がって嫌がった。かわいそうだったが、10日程で改善した。
右足首の少し上外側を掴んだ時に痛がったので、そっと擦ってみると枝豆1粒大くらいのしこりがあることに気がついた。H病院形成外科を受診した。同じ病院でも科が違えばまた問診票を書かされる。画像診断の結果は良性の腫瘍。切除しても恐らく再発するし、場所的に脚の神経を傷つける可能性があるため、切除はしない方が良いであろう、何もしていないのに痛がったり、急に大きくなったりしなければ放置可能とのこと。念のためT大学病院への紹介状を出すと言った。大丈夫なのに大学病院?連れて行くの大変なんだよな。でもあの時こうすれば良かったと後悔したくないので、予約を取り連れて行った。こちらでも同様の診断結果で一安心した。
2022(令和4)年3月、S園でのショートステイから戻った時「入園中(12日)に発熱し、食事もほとんど取れずぐったりと寝ていた。」と報告を受けた。同時期に入園していた人がコロナに感染したらしく、母も検査を受け結果待ちとのこと。後に母も陽性反応が出たと連絡が来た。自宅に戻った時にはもう解熱していつも通りだったため、まさかの陽性だった。当時は濃厚接触者も必要最低限の外出以外は控えるよう強く推奨されていたため、家族3人一週間程自宅軟禁となった。T自治体から支援物資(食料品)が送られてきて助かったし、私達夫婦は感染しなかったし、仕事も休めて個人的にはラッキーだった。
そんなこんなで私達夫婦は頭を抱えたりすることもたくさんあったが、3人で笑顔で楽しい日々を過ごしていた。テレビにハゲ頭のお笑い芸人が映ると食い入るように見ては笑っていたっけ。
母は私と夫の顔に手を伸ばし、そぉっとさわってくることがよくあった。他の人にはしない。2人のことを気に入っていたんだと思う。夫は義理の母なのにお世話を諸々やってくれる。本当に頭が下がる。仙人か?いや神だ。私よりも母と一緒にいる時間が長かったし、母も信頼していた。手を握ると嬉しそうに笑って「あったかいねぇ、赤いねぇ」とか、飴を食べさせてあげると「甘いねぇ」、猫の動画を見て「かわいいねぇ」、顔を見て「大丈夫だよ」「あー、来てくれたの」「ねー、そうだよねぇ」「ごめんねぇ」「ヤッホー」など私が知らない2人の心のふれあいがたくさんあったようだ。「68歳で死んじゃうんだ」って死ぬ死ぬ詐欺みたいな事いつも言ってたけど頑張ってくれてたんだ。おかげで私も結構大変なことをやれていたんだと思う。常勤フルタイムで働いてんのに体力あったな。楽しかったし、幸せを感じていたんだなきっと。
そして少しずつ少しずつ、歩行(補助必須)、握力、聴力、発声、嚥下、認知機能、全体的な身体能力が低下していった。特に摂食については、細かく刻んだものは気管に入りそうになり、むせ込むことが多くなった。柔らかいものやとろみのついたものでないと食べられなくなっていった。薬も小さく割って、おかずやヨーグルトにまぜないと上手く飲めなくなった。食事量も減り、身体も痩せ始めた。フードカッターを使ったり、色々手を尽くして調理していたが、仕事を終えて帰宅後の支度は遅くなるし難儀であったため、夕食は宅配の介護食(舌で潰せる柔らか食)に頼ることにした。