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しょーもないことをかき集めたら、立派な文章になるって、ほんとですか、町田康先生?!

昨年、noteを毎週更新することを目標に掲げていた。
が、無理だった。
なぜか。
ネタがないのである。
書くべきことが見つからない。

私の頭の中にあるのは、しょーもないことだらけで、とても人様にお見せするようなものではない。
あえて書くならば、
痩せよう痩せよう思ってるのにどうしてまたチョコなんて食ってしまったんだろう・・・。
はーうちのネコ神すぎやしませんか? なにあの造形美、まじ神!
ねむい。
便秘がひどすぎるわ~、もう四日目よ、ちょっとどうなってるの?
いえいえいえいえいえ~い(好きな歌を歌っております)

こんなんで、どうやって文章を紡げと?
たぶん川端康成レベルでも無理ではないかと思う。
頭の中もそうとうアレだけれども、日々の生活もそうとうクソなので、どこからどうやってもネタが生まれてこない。
ああ。どうしたらいいのでせう。

それでまた懲りもせず、文章読本のたぐいに縋りつきました。
今回読んだのは
『俺の文章修行』(町田康 幻冬舎)

町田康氏と言えば、その独特な語り口と、自虐に満ちたセリフ、それから滲み出るダメ人間っぷり(たぶん演じてるとお見受けしますが)が魅力である。
(氏の『告白』は、コミュ障にとってのバイブルだと思っております)
その氏が書かれる文章読本なので、まあ、かなりぶっ飛んでいた。

内容は、世に数多あるものとさほど変わりはなかった。
いっぱい本読めや。
書けや。言葉を覚えろや。
自分の感情を大事にしろや。
みたいな。
語り口がおもしろい(人によっては回りくどくて無理かもしれないが)だけで、なーんだ、結構普通の文章読本じゃん。
ちょっと期待はずれかもしれない、と思ったのだが、もったいないので最後まで読んでみることにした。

と、どうやらこの本は
前半が「実際にコレをやったらどうでしょう」(技術篇)で、
後半は「こういう心づもりでいきましょう」(精神篇)のようであった。

豆腐メンタルな私は、精神論を語られると弱い。
すぐに信者になってしまうのだ。
今回も御多分に漏れず、私はもう氏を呼び捨てにできないな、と思った。

氏、曰く。

心にわいた糸くずを大事にせえよ。
糸くずってのは、強烈な恥や怒りの感情や。
しょーもない感情のことや。
でもな、それは正真正銘自分自身が感じたことなんやで。
お前さんだけのオリジナルな感情なんやで。
せやから大事にせなあかん。
その糸くずをな、より集めて、糸にして、心の錦にするのが文章やで。
織り上げた心の錦は、やがて誰かを温めうることがあるかもしれないんやで。少なくとも自分自身は必ず救われるんやで。
技巧よりなにより文章において大事なんは、糸くず。
つまり心の叫びなんやで。
(カタクリ要約 実際はこんなエセ関西弁で書かれてはいません)

くっはあああああああああああ!!!
私はこのくだりで悶絶した。
だって、しょーもないことにこそ価値があるんだよ、だなんて!!!
少女漫画のイケメンがほざくやつみたいじゃないですか!!!
「君には君の魅力があるのさ」みたいな。(古いな)
焼肉食べたいなーと思いながらも、財布の中身が足りなくて、でも諦めきれずに店の前をウロウロしていたら、たまたま親戚のお金に余裕のあるおじさんがやってきてごちそうしてくれた、みたいな。
そういうときのおじさんは神さまに見えるけど、それと同じで私には町田康氏が神さまのように思えた。

うわあ。ありがとうございます。
こんなしょーもない、クズみたいなことしか考えてない私でも、文章を書くことができるんですね。むしろ、そのしょーもなさ、クズさが良いのだとおっしゃる。
ああ。ありがとうございます。私はその言葉で救われました。
えっと、お布施はいくら包めばよろしいでしょうか?

なんだか俄然やる気が出てきた。
もう怖いものはない。
しょーもないことこそ、錦。文章のかなめ。
ふっ。そうとなったら私は無敵。
しょーもなさには自信があるんでね!
町田康先生の教えを忠実に守って、私はこれからしょーもないことを書きまくります。ええ、いてこまします。


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カタクリタマコ
最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。