作家・加藤九祚――井上靖と旅することで彼が学んだこと
ひょんなことで、自分の好きな学者、作家である加藤九祚について、今いるU国で開催される会議で話すことになりました。18日が氏の生誕100周年に当たります。
時間は5分だけですので多くは話さなくて良いのですが、私は単なる加藤ファン、加藤氏の本の愛読者なだけですのでいったい何を話そうかと手持ちの本を読み返して、1960年代に加藤氏が3度、中央アジア旅行をしていてその経験が作家としての加藤九祚の誕生につながっているように思いましたのでそのことを話すことにしました。
最初の旅行は加藤氏の一人旅だったようですが、2度目、3度目は作家井上靖に随行しての旅でした。この旅行での見聞をもとに井上靖は「西域物語」を書いています。また同じ旅行の紀行文としても「第1回 西トルキスタン旅行」「第2回 西トルキスタン旅行」を書き残しました。
井上靖と旅行した当時、加藤氏は平凡社の編集者でしたが、シベリア史を研究し、また中央アジアの歴史に関するソ連の学者の論文などを翻訳していました。本当にこう言い切れるかは分からないですが、のちに加藤氏の文章の主流となる紀行文はまだ書いていなかったようです。
それが井上靖と一緒に旅行して、この作家から紀行文を書く心構えを加藤氏は学んだようです。
「……なによりも重要なことだが、この旅行を通じて、ものの見方について井上先生から多くの教示をいただいた(先生の見方、感じ方の一端は名著『西域物語』に具体的に現れている)。」
(加藤九祚「あとがき」『西域・シベリア』415ページ)
加藤氏が井上靖から学んだ心構えとは具体的に何なのか、私はまだ十分に理解できていませんが、旅行中つねに記録を取る、そしてその日のうちにそれをまとめることを井上靖は日々欠かさずおこなっていたようです。
忘れもしない5月26日の夜、私〔加藤九祚〕はフェルガナ市のホテルで井上先生と同室で眠った。……夜中の3時ごろ、私はなにかの物音に眼をさました。見ると、先生はノートを前に深刻な顔をして考え込んでおられた。先生はいつも、現地では取材用のノートにメモされ、ホテルに帰ってそれをノートに整理される。このときほとんど完成した状態に仕上げられることもある。それも夜中の12時頃までみんなといっしょにお酒をのまれた後のことと思われる。……
実は加藤氏は最初の1963年の旅行についてあまりたくさん書き残していませんが、井上靖との旅行以降は多くの紀行文を残すようになります。こうした井上靖の、旅に向かう厳しい姿勢を学んで、加藤氏も自分のスタイルの紀行文が書けるようになったのではと推測します。
私自身をふりかえると、このnoteもゆっくりとしたペースでしか記事を書けていませんし、いろいろな旅行の印象を文章に書き残したいといつも思っていながらそれもできていません。加藤氏が井上靖に学んだように、私も孫弟子になった気分で井上靖、加藤九祚両氏に作家としての姿勢を学ばないといけないと思いました。