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フィンセント・ファン・ゴッホ / メトロポリタン美術館
文学的感情と社会科学的思考
私は本が好きですがそれほどたくさん読んでいるわけではありません。それでも高校生のとき小説(のようなもの)を書いていたこともあったのですが、小説を書くには自分には「心の襞」が足りないと思って大学に入った途端に書くのを止めてしまいました。一方で何かを書きたい欲求はあって、小説ではなく学術的な文章を書くことでその代わりになると思い、特に大学院で勉強した後はそうしてきました。
大学院で専門の勉強をしてそれに関する本を無数に読まないといけなくなると、どうしても小説を読んだり普通の読書する時間が無くなってしまったのは残念です。さらに今は外国暮しで日本の本を簡単には読めません。それでも最近はやはり読書が必要だと思って、日本から持って来た小説を読んだり「青空文庫」にある小説を読んだりしています。
大学生のころは小説を書く代わりに学術的な文章を書こうと思ったわけですが今までそうしてきて、自己表現の方法としてはそれは十分でない感じがしています。論理的な思考に基づく論理的な文章で表現できることは限られていて(私の能力が、ということはもちろん、方法としても)心の奥の感情は文学など芸術の方法によるしか、やはり表現方法はないのかもしれません。
今noteを書き溜めていますが、文学的感情に基づいて書くか、社会科学的思考に基づいて書くか、その間を振り子のように揺れ動いて書いているように思います。もちろんテーマによってどちらのスタイルを取るかが決まってくるのですが、社会科学的思考で書いたものはきわめて皮相的になっているかもしれません。そういうものも必要ですが、自己表現としてはやはり文学的方法を意識しないといけないんでしょうね。
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