10月の自選俳句。
天高し 空の鏡に 人の世の
秋は空気も澄んで空は高くどこまでも続いている。
こんな季節にはこの空の下で人々は暮らしているのだという気持ちになる。
一つの空の下でという一節が平原綾香の歌にあった。
ふとどこかの本で読んだうつし世ということばが思い浮かぶ。
地上の世界は天の世界の不完全なうつし世なのだろうか。
野ウサギの 食みし菊菜も そのままに
マンドリン仲間のMさんの話。最近庭に野ウサギの子供が出没するとのこと。
ある日庭の家庭菜園に入り込んでせっかく育てた野菜の青菜を食べているところを見つけたのだが、あまりにかわいらしい様子にそのまま眺めていたとのこと。
いかにもMさんらしい。
十一月の 蛸釣り上げぬ 防波堤
車いすの福祉会会長のTさんに誘われて二人で御宿港の方まで散歩をした。
防波堤に行くと穏やかな日差しを受けて 立ち姿で釣りをしている男性と会った。
今日は成田から来たのだという。
「何が釣れた?」というTさんの問いに、蛸が釣れたとのこと。
「ちょっとさわらせてもらいなさい。」というTさんの言葉で 私はビニールの袋ごしにその柔らかな収穫物に触れた。
海に出る 路地入らんと 百舌鳥の声
大根畑 秋蝶 払う 翁いて
買い物の帰りに川沿いの小道を歩いていると、高齢の男性が棒の先に網のついたものを動かして何かやっていた。
自家菜園の大根の葉に卵を産み付けようとして接近してくる蝶々を追い払っていたのだった。
木星か 土星のホルム ふゆう柿
●台風到来に関する句
非常灯 消えていにしえの 闇に入る
大瓦 砂に埋もれし 野分後
野分(のわき)は台風の古語、
私の家を含めて海岸通りの家々はみな瓦をやられてしまった。
我が家の場合は屋根の左右の尾根がやられて、風に飛ばされた瓦が大きな音を立ててガラガラと落ちてきた。
秋天や ブル押し返す 浜の砂
草ぐさも 砂野にかえり 秋の海
虫の音の 久しく消えて 野分後
秋の夜は 雨含ませており 乳のごと
秋うらら 箱いっぱいの 炭を干す
日を浴びて 軋むがごとく 炭の音
坂道を 香りと降りぬ 金木犀
秋澄みて 京人形 生き返る
北国の 庭に養う 山葡萄
岩手県のある地方では山葡萄をジュースにして飲んできたという。
元来山葡萄はとても酸っぱいものだが、砂糖を入れて暖めて飲むと滋養のある飲み物になるという。
これを愛飲する人は庭に山葡萄を育てているという。
木の実落つ 黒き大地の 星座かな
星座は空にあるばかりではなく、大地にも描かれる。
鳥は空に住み、人が空を眺めるように大地を眺めているのかもしれない。
新米の ひと粒の音 拾いたる
お米はひと粒が落ちてもしっかりとした音を立てて
おのが存在を伝えてくるから たいしたものだ。
即一決 烏の会議 秋時雨
烏の声に空を見上げると、数羽の烏が集まってきてなにやら短いフレーズで穏やかに声を交わしていたが、やがて話がまとまったとでもいうように解散して行った。
そのあとに間もなく冷たい雨か降り出した。
すさまじき 雨の中にも 燃えるもの
窓外では冷たい雨がこれ以上ない激しさで駐車場の路面をたたきつけていた。
そのとき冷たい雨の中に燃えるエネルギーのようなものが立ち上がるのを感じた。
マイナスのものもある極点に達するとプラスに反転するという話を思い出した。
自転車降り 道ゆずらるる 秋の川
暮れやすし 家路は 遠くなりにけり
発表会が終わって公民館を出るともうすっかり日が落ちていた。
自宅までヘルパーさんと二人で歩く。ヘッドライトを着けた車が脇をすうすう通り過ぎて行く。
明るいときよりも道が遠く感じられる。いつもの橋のところまで来てまだ少し歩くのだと思った。
庭先に 鋸の音 秋の暮れ
自宅に向かって暗くなった浜通りを歩いていると どこかのお宅の庭先から鋸を弾く力強い音が聞こえていた。
きっと作業を始めたときにはまだ明るかったのだろうが、始めた以上 途中で止められないのも人情。
遠吠えに 歩みを緩め 秋灯し
さらに少しばかり通りを歩く。自宅までもう少しのところまで来て余裕も出てきた。
そのときどこかのお宅の番犬なのだろう。犬の遠吠えをする声が聞こえた。
狼のようなすごみのあるものではなく、細く尾を引くように長い遠吠えだった。
遠吠えと言うとなぜ狼は遠吠えをするのかという、ケートソリスティ著「あの世の犬たちが教えてくれたこと」の一説を思い出す。それによると、狼の遠吠えは周囲の動物みんなに連絡を取るためで、それはみなが誠実でいるようにと訴えているのだという。
この話を知ってから遠吠えを聞くときの気持ちも何か神聖な物に変わった。
騒然とす 夜汽車と海と 秋の風
寝室でベッドに横になっていると外がなんだか騒がしい。
騒がしいと云っても酔っ払いが叫んでいるとか、夏野夜のように観光客がグループでぞろぞろあるいているとかいうわけではない。
夜風が鳴って 夜汽車のレールの音が聞こえて、海の潮騒がさわさわ言っている。
それらが一つになって家の外で騒いでいる大人のだ。
もし宮沢賢治にこれを聞かせたら一篇の童話が生まれるかもしれない。
砂嵐 秋の暮色を おおいけり
障子入れ 空気四角く なりにけり
引き出しに いつかの胡桃と 万歩計
一昔前でしょうか。握力を鍛えるのに胡桃を握るとよいというのでブームになったことがありました。
秋の陽も 山の塒に 帰りけり
花野摘み きみへきみへと 送る夢
秋の海 秋の呼吸と なりにけり
十月、このころの海というのは遠い洋上に台風さえ発生していなければおそらく一年のうちでもっとも穏やかな表情を見せてくれるといっていいのかもしれない。
寄せては返すのどかな波のリズムを聞きながら海辺を歩いていると こちらもまた秋の呼吸となっていることに気づく。
布団干す 家点々と 秋の海
秋の陽や ボードで遊ぶ 裸の子
秋の海 窓行く船は 紙芝居
柔らかな日差しの降り注ぐ秋の海を窓越しに眺めているのはなんとのどかなことでしょう。
そんなときに沖を白い旅客船が通り過ぎていくのは まるで大きな手が風景の中にそっと入れてくれたかのようであった。