自信がなくても生きられる
昔、精神面にアプローチをする治療の時に、
「何か自信を持って出来たこと、出来ることを思い出してみて」と言われ、考えてみたが、成功体験、と自分が思っていることが特にないことに、その時気がついた。
考えた末に
「あらためて、そう聞かれると全くないです」
と答えると先生が、具体的な例をどんどんあげてくれた。
その日の治療が、やった!できる!と感じる感覚に繋げたかったのだ。
本当に些細なことへと先生があげる例が移っていったが、どうにもピンとこない。
仕事での「やったー!」と思ったことは皆無。
部活で試合に勝ったとか、というような話題も全て壊滅した。
次々と探っていくうちに
「歩く、という行為ならどうかな?」と先生。
言われて私は「歩く」を感じてみるが、なんと歩くという日常の行為にさえも、自信がないようだった。
身体もそのような反応で
(身体と精神面、全てにアプローチする治療だった)こんなに全く自信がなくて、よく生きているな、と思った覚えがある。
自信がないというより、不安に覆われていたのだと今でこそわかるが、何も自分にやり遂げる力がないと思いつつ生きるのは、なかなか大変だ。
その状態の時に、どれだけ自分を大切に、自分を愛そう、と言ったところで、それは無理なんじゃないかと思う。
原因探しには意味がないとは言うが、自分を愛せないということには原因はあるのだ。
結局のところ、自分の今までの生き方全てを自分が愛してあげられるか、いろいろやってきたけど、そんな私が大切だよ、と自分が思えるかどうかは大きい。
ここの自己肯定感が、きちんと育っている人は他人に対して傲慢になることもなければ、自分の正しさを人に押しつけるようなこともない。
それは年齢を重ねたからとか、経験を積んだら育つ、ということでもないなあ、と、歳を重ねるごとに実感する。
これはなぜ?と思うことに時折遭遇するが、もともとの魂のカタチみたいなものが違うんじゃないか、と思ったりする。
きっと誰もがこの世界を形成するパズルのピースで、自分のカタチ、あるがままでいたら、うまくひとつの作品を構成するのだろう。
それがどんな作品なのかは、わからないが、いろんな物をそぎ落として、私自身のピースを受け入れつつある。
自分で自分を励ましたり、受け入れるのに都合が良いのなら、占いでもお気に入りのマンガでも何でも利用したらいいと思う。
私のインスタグラムのユーザー名 ryukoitsumi315 の315は、アイドル育成ゲーム、アイドルマスター SideMの315プロダクションの315(サイコ―)である。
アニメですっかりハマり、これはゲームに手を出すとやめられないなと思いゲームはやっていないが、好きな曲も多く、わかりやすいストーリーにも元気をもらった。
ゲームに手を出さない、の選択もありだし、とことんハマるのももちろんありだろう。
そんな私も寝る前に自分に
「よくがんばったね」「私は私が大切だよ」
と声をかけると、今も気恥ずかしい気持ちになるが、何が恥ずかしいかも、誰かに刷り込まれた思い込みのひとつだから、そう気にすることもない。
一緒にいると自分が元気がなくなっていく人とは、無理に一緒にいることもない。
自分を守ることを最優先にしていい。
そんなことをひとつひとつ積み重ねながら、
今日までボチボチ過ごしている。
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