癒しと回復
今日も目を覚ますことができた。
洋服を着ることができた。
よくやってる。がんばっている。
今がどんな状態でも、それはがんばって生きてきた証なのだと思う。
ただ天井を見て寝返りもうてず、布団の横に誰かが買ってきた食料が運ばれてきたのを口に入れ、罪悪感に苛まれ続けていることもあるかもしれない。
私は何年もそんな状態の時があった。
今でもそんな1日を過ごすこともある。
それでも、その私を自分で責めてしまったら、
一体誰が私をいたわり、救い上げてくれるのだろう。
私は何かの治療の専門家ではないが、生きることに関して物心ついたころから、何かと疑問を持っていた。
自分では自覚なく、こうであると信じ込んで生きてきた、何かによって形成されている世界観を変換するのは容易ではない。
もちろん個人差はある。
その人の世界観がもともとどのようであったか、によっても違ってくるだろう。
世界観の成熟度、大人度数、のようなものがあるように思う。
だから、一口にトラウマを癒す、とか、何かのブロックを解放しよう、意識を書き換えようとか、そんなに簡単に一筋縄ではいかないことが多いのだ。
自分自身がもともと持っていた世界観のなかで泳ぎ回っているうちには、行動や思考を転換するのはとても難しいと感じる。
もちろん、それで本人が楽になる何かに出会えたらそれはそれでいい。
私自身が今、人から何か相談された時には、適切なしかるべき治療をしてくれるところを紹介している。
自分自身が癒されていない人に相談すると、なぜかその人から憎まれたり攻撃をされる二次災害のような事態になるので、相談相手は慎重に選ぶことをおすすめする。
話は少し変わるが、私も多くの人と同じように、スタートレック(若い世代にわかるかな笑)スターウォーズ、アベンジャーズシリーズを面白い、と思って観ている。
単純に面白いと思って観ていたが、どことなくそこに描かれている共通の世界観をみていた自分の視点が変わったことを感じ、また違った意味で面白いなあ、と思いながら最近は観ている。
無意識やトラウマは、本当に意識に上がってこない。だからトラウマなのだが。
自分で自分を傷つけつつも、癒し続けていくなかで、自分が抱えてきた何かに気づき、自分に優しくすることを知り、そして同じように生きてきた他人の物語に手を加えたいという欲求を手放せた時、それまでの『私』物語は違った物語として、目の前に現れる。
誰もが変わることができる。
その物語を私は選択しよう。