理系教科が大嫌いだった
朝から、突然、微分積分の話になった。
そもそも、夫を送りがてら、あぁだこうだといろんな話をするんだけれど(あの家の壁かわいい、あの車いい色、あの人帽子と車が社会学者!と、まぁ窓閉めて言わないといけないことまで色々)、ふと、なんだったか今朝は微分積分が出てきた。
夫は理系もかじる文系、私は文系のなかでも一部しかちゃんと理解してない文系(超好き勝手な文系)。お互いにかぶるところもあってわかるわかるとなるかと思えば、同じものを見てるはずなのに解釈が違っていたり、とんでもない質問をしたりされたりすることもある。今朝はそんな話のひとつ。
そもそもうまく説明できないんですが、車が走っていて、横の細い道から車がその車の前に入ろうとして、それぞれの距離と速度とでぶつかるかどうかみたいな、そんな話がスタート。で、それは微分積分なんだよ、と。
私の感想としては、あら、数学が実生活の役に立つなんて、と。
実際には距離をパパッとはかったりできるわけではないし(目視だし)、と思ったところで、それは夫がやっているゲームの話だ、とも思った。
シティズスカイライン。確かそんな名前。同じようなゲームをいくつもやってて、私には、何が何だか、というレベル。大体、パソコンの大きな画面の中に地図がばばーっと広がっていて、電車やバスの公共機関、いやお金がないし路面電車だ、いやみんなで自転車通勤してくれ、こっちが会社とか工場があって、学校が少ないから犯罪が多いとか、ごみ収集車の数が足りないとか、下水道があふれたとか、川が決壊したとか、とにかくまぁドラマチック。お金を気にして遊ぶパターン、無制限に赤字になりまくりながら、とにかく街を発展させるパターン。いろいろ。
とにかくそのゲームで、信号にすると渋滞が起こるから、なんていうんだっけ、国内より海外で導入されている、交差点がサークル状になるやつ。あ、ラウンドアバウト。あれにすると、車と車が、リアル社会以上に飛ばすから見てて怖いんですよ。計算上、ぶつからないことになってるからギリギリまで車同士がとばすっていう。お互いに制御されてる者同士だからこそできること。それが、話していて私の頭にふと出てきた。
こんな風に理系の会話(これをそんな風に言っていいのかわからないけど)を聞ける、受け入れられる、こと自体が、私の中での大きな変化。
もともと、数学が、さらに算数が(四則計算は頑張る。検算できるものは好き。安心する)嫌いというより、生理的拒否反応が起こる。その話になりかけた時点で、ごめん無理、と言葉にするか、なるべく顔に出さないようにして音として聞くことにするとか。この条件下でこうなるとどうなるか、と問われたところで、知るか、とか、そんなのならないとかケチをつけたり、とにかく考えることから逃げる。理科も、リトマス試験紙とか、水上置換で泡がぶくぶくするのとか、これとこれを混ぜるとこの色になってこういう化学変化が起きる、というのは目に見えて分かりやすいしガスバーナーの炎の色が変わってきれいだとか、そういう部分的にしか興味が持てなかった。でも大人になって、夫と話していて、スタートが実生活の疑問や気づいたことから、知ってるけど理解できない理系の話につながると、今は面白いと感じられる。じゃあもう一度勉強するかとか調べるかといわれると絶対やらないけど。
拒絶反応が最初からなかったら、理系教科も好きになれたりしたのかな。
とはいえ、集団授業を受けていても基本的に頭の中は別世界に飛んでしまっているような私が、授業中現実に戻るのは、先生が雑談をした瞬間で、じゃあ授業に戻るぞーという言葉を合図にもう一度別世界に飛ぶ。それぞれの教科の先生たちが、何をどんな風に説明していたか、面白いと思ったことは覚えていても授業内容は覚えていない。自分が小学生の頃、当時の担任の先生がばけついっぱいの枝豆とお酒で他の先生と語り合って一緒に楽しんだとか、担任の先生の車の横っ腹に同級生が10円玉でぎーっとやったとか、中学の時のどの先生が奥さんとどんな喧嘩したとか、そういうのはばっちり覚えている。目は開いてるんだけど、もう完全に妄想の世界。国語の教科書が配られれば、目次を見て面白そうなのをバーッと読み、最終的にはつまらないと思っていたものも読む。先生の解説を聞き、こういう見方もあると知り、ほほーと思う。あとは外を見て、今日もいい天気だなーと思う。中学高校になると、最悪、国語の教科書の内側に文庫本が挟まる。別のことを考えたり本を読んでニマニマしてしまえば、まぁ授業やる側からしたら表情の変化のタイミングと授業内容やリアクションや表情であぁーと一発で分かってしまっただろうなと思うけれど。
教え方がどうこうじゃなくて、面白いと感じられないだけだったんだろうと思う。全員に同じように興味を持たせるなんて、ひとりひとり違うんだしまぁ無理というか。ひとまず通過させなきゃいけない、んだよな。
オンラインで個人個人のペースで繰り返せる学習システムは、当時あれば、私にとって多分良いものになったんだと思う。質問したいと思うことよりも、同じことを繰り返してできるようになれば、できた嬉しい、という達成感にもなるわけで、一度ミスし、二度ミスし、さらにミスして、あ、これ前からできないやつ、とカウントできるようになるのが大体10回ミスしたあたり。人間対応にしてしまえばもう感情が出てきて当たり前。覚えているお世話になった先生たちが、またかーという顔をしても、イライラが出るわけではなかった。でも、機械的に対応してくれることが、ミスを恐れなくなることにもつながると思う。違う教え方をされたところで、あぁ気をつかわせた、申し訳ない、私ができないからだ、もうやだ、やりたくない。どんどん落ち込む。機械的に毎日5分でも続けたら、一週間あればできるようになると思う。最初は何を言っているか分からなくても、ピースが少しずつつながり、最終的に完成間近で、どうにもならないところだけ人間に質問、という形でもいい。人と向き合わないでいい、自分のペースで、好きな時に、好きなだけ繰り返せる、なんて、いいと思うんだけどな。何の話だ。もう。
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