花瓶もなければ花もない
2024年10月10日の記事。
今日も寒い。でもわりと心地よいかもしれない。ヘッダーは大昔撮った新宿御苑のなんかの花です。
半年以上ぶりの面接ってもの
物凄い近所にクソデカスーパーができた。当たり前だが、オープニングスタッフを募集しているらしかった。わたしは障害年金の手続きに疲れて病んでしまったタイプの可哀想な人間なので(自分で言わないとやっていけない)、もう細々で良いからとりあえず資金を稼がねば…と思い、応募した。
正直、面接が嫌い。何話していいかわからなくなるから。でも、自分も遊んでいた時は、相手方の本質的な面を探るための時間をわざわざ設けたりしていたので、それと変わらないよなあ。そう考えると、あまり存在否定をしたくない、面接。
NOと言うのが苦手そうな男性が面接官だったが、それ以上にわたしはNOと言うのが怖いくらい、怯えまくっていた。とはいえ、大体テンプレートな会話をして終わった。(あんまり記憶がない)
解散して歩き出した瞬間、「あれ?待てよ、わたしって髪や爪が自由なところ探して無かったっけ?」と我に返ってしまった。多分就職への道は遠い。
詩1000本ノック的なもの
#いいねした人の名前を伏せて思ってること言う みたいなハッシュタグがTLで流行ってたから、便乗してやってみた。当初、10に満たない数だったのもあり、そのまま書いてもつまんないかな、と思ったのもありで、いいねした人を考えた詩を載せることにした。
詩、書く機会は徐々に増えているけれど、質がどうも納得いくものが少なくて、筋力があるのに、〇〇kgのバーが持ち上がらない…と苦悩するような状態なのだ。
だから、10に満たない数でもジワジワ難しくて、ヒィヒィ言いながらも取り敢えず投稿。そしたら数が増えている。嬉しいようなマジか、というような。
投稿しては増えて、を繰り返していたら、最終的には31人分書いていた。全然足りないのだけど1000本ノックをしたような疲労感があった。これ、最早筋力も衰えているのでは…。
楽しかったし、名の通り、鍛錬だった。けど、満足・不満にムラがありすぎて、正直自分的には、情けないなー、という感情が残る。インプットが足りてないなと強く思った。人と話す機会が多いのにね。(年代とか関係のない意味での)新しい映像や音楽にもっと積極的にならないとな。保守的になっててやんなっちゃう。
花を入れる花瓶も無いし
ここ最近恋愛的に好きだと自覚した人が、既婚者だということを知る。今朝、「あ、わたしはこの人に恋をしているんだ」と自覚したのに。
まあ、そういう時、現実は待ってくれない。自覚したのが遅かったのだ。
やるせないさざなみのような気持ちと、許せない業火のような気持ちとが、振り子時計になっている。時刻はさしずめ、わたしの呼吸や鼓動かな。
大人になると傷つくのがさらにキツくなる、と聞いていたけれど、本当にその通りだな。今、その相手の為に作っていたプレイリスト(画像)流していて、本当に死にそうになっている。(特に菅田将暉『ばかになっちゃったのかな』、くるり『魔法のじゅうたん』)
こうして人間は更に恋愛がわからなくなるのだろうな。遊んでいた期間も含めて完全に異性がわからなくなっている。
どうしてわたしは人間にしか興味が湧かないのだろう、しかも比重の高さは謎が多い異性。人間でなく猫であればよかったのかな。人間だから人間に興味が向くんだろうな。もう誰のことも好きにも嫌いにもなりたくない。やけっぱちのようにそう思うけれど、寝て起きたら、やっぱり誰かを好きになりたいわたしのままなんだろうな。愚かだ。