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己を捉えるということは虚空を掴むということ

2024年10月12日の記事。
今日の記憶があるようであまり無い。最近こんなのばっかりだ。自分を追い込むように自分が歌詞やメロディーを聴いて死にかけた曲をプレイリストにしてBGMにしている。わたしの得意技は自殺行為です。
ヘッダーは大昔わたしが撮って加工した猫です。


共感か励まししか道はない

先日の失恋を(いつまで話すねんの話題)未だ引き摺っているので、行きつけのお店に行って、仲良くさせてもらってるスタッフさんに話を聞いてもらう。
図らずも他にお客さんがいないことをいいことに、感情大暴れで話をして、少しスッキリした。スタッフさんにお礼しなきゃな…。
そこで言われたのは、「そういう話題、特にどうしようもない結果になった恋愛話とかって、共感するか、励ますしかこちら(聞き手)が出来ることないけど、共感したらただ虚無しか生まれないんだよね…悲しいことに…」という現実だった。
いや、確かにな。
恋愛話で、女性に比重が大きいと思うけど、共感してほしい、みたいなことよく聞く。もちろん出来るところは全力で共感したい、思いはある。でも共感して何が残るのか、と言われると、虚無か、虚構の安心感しかない。結局虚しか残んないんじゃん!!
大好きな漫画で、『俎上の鯉は二度跳ねる』・『窮鼠はチーズの夢を見る』というものがある。その作品のラストシーンで、「恋愛は業だ」と言い切る場面があって、重たい言葉としてわたしの心に強く残っている。作中は所謂BLの展開になってその台詞へ至るが、じゃあ男女は?男女も業になり得るのか?と考えてしまった。また可愛くないことを考えているね、わたしは。


少女漫画の読み過ぎと少年漫画に夢中になること

わたしはコンプレックスなくらい少年漫画を楽しめない。それなりに読みはした。銀魂、ワンピース、コナン……、他に思い出せないけどとりあえず読んだ。それでも今記憶に残っていて、強く好きだと思えるのは『鋼の錬金術師』だけだ。BLEACH、NARUTO、鬼滅、呪術、その他有名な作品に至っては食指が動かなかった。
その代わりと言ってはおかしな話だけど、少女漫画は長年ずっと読み続けていた。ちゃおは小学生中盤から5年間毎月読んでいたし、りぼんとなかよしに関しては単行本で補いながら過ごしていた。レンタルコミック制度にありつけた時はレディコミやTLコミックにも手を出していた。漫画に必死すぎる少女時代。
脳内・趣味・考え方がかなり女性寄りなのかな、と思った。けど、わたしは所謂「俺女」や中性的な存在に憧れがあった、し、未だに女性と名乗る時一息要る。それはひとえに「舐められたくない」から。
別に誰もそんなふうに思ってないよ!と、言われればそれまでなんだけども…。でも世の中には未だに舐めてくるやつが居るのだ。悲しいけど。フェミニストとかって訳でもないし、女性を全肯定できることもないけど、わたしにとっては女性はわたしより上の存在、と思っている。
そんなわたしが裏垢行為をしているのは何か皮肉っぽくて面白い。わたしはわたしの女性性を弄んでいるので、消費しているに過ぎないけど。


自分カメコいけますやらせてください

チェキを撮るのが得意だ。
いや、実際そんなに得意とは思ったことがなかったけど、前述したお店や、タイミングがあってチェキで撮影する機会がある。その時にやたら被写体側に褒められるのだ。
そう言われれば一応一眼で撮影を頑張っていた時期はあるし、編集とかも楽しいな、と思える人間だった。
でも、カメラに凝り出したら大変(主に金銭面)だし、わたしは景色とかより人が撮りたいタイプだったから、撮影してもらえる人がいないと意味がなかった。そんなわけでケースに入ってまま放置されていた一眼は、いつしか知らない誰かの元に向かった。
やっぱり写真の技術(?)の褒めを受けたり、カメラへの執着を捨てられなかったりで、またやりたいんだなーわたし。と痛感している。
早くお金貯めてカメラ買いたい…。撮りたい人が沢山いるんだよな。…それってすごいことだな。すごいことになってるよ、過去のわたし。なんでも未来は凌駕していくね。

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