見出し画像

お前は令和のヴィトゲンシュタインかよ

2024年10月9日の記事。
嘘みたいな数日間明けの日常はあまりに普通だし、寒いし、ぼんやりしていて、ずっと寝ていた。
ヘッダーは適当に見つけた、とあるプレイリストの一部です。

プレイリストって明るい?暗い?

先日、友人宅に泊まった時。友人は無音が苦手なのでBGMを決める時に「どんな気分?どんなの聴きたい?」と尋ねたら、「んー、なんか陽気なやつ!」と返されたのだ。
わたしは困った。明るいパーティサウンドのような元気さ!明るさ!陽気!フィーバー!みたいな曲(例えばブルーノマーズや流行りのK-POP、アニソンとか)が入ったプレイリストを、自分は持っていないな、と直感で思ったから。例えた曲たちが嫌いなわけじゃないし、寧ろ好んで聴くこともある。けど、まとめてないのだ(結局友人の手持ち曲を流すことで終わった)。
そもそも、BGMやプレイリストを決める時、「陽気さ(ポジディブさ)」を求めたことがないな、と思った。勿論自分の好きな曲で構成するけど、そこには上記のようなテンションを上げる感情は少なくて、しかし、ネガティブな感情が多いのか、と言われるとそうでも無い。
あるのは多分、「考える」という要素。どれだけこの歌詞から連想して何かを思案できるかとか、曲や歌詞を聴いて如何に落ち着いて(今頭に浮かんでる事象について)考えれるだろうかとか、そういうことばっかり気にして選んでる気がする。或いはいっそ何も考えないようにする為には、とか。
なんというか、もっと楽しんで娯楽を吸い上げろよ…と思った。

その点、アイドルを聴いている時はそこまで何も考えてないな、ポジディブ寄りだな、と今書いてて思った。彼ら(彼女ら)はわたしにとって、本当のフィクション(人が作り人が演じる現実)なんだろうな。

「何聴くんですか?」の最適解はなんだ

前単元のことがあるのもあって、永遠のテーマ。音楽好きなら、過半数通った道じゃないかな、と思いたい。
さっきも言ったが純粋に音楽は好きだ。
しかし、音楽は時に人間性名刺になってしまうので、下手に好みが言えないことがある。

いや、好きなものを言えばいいんだけども、今日の気分、とかで選べたりできない。わたしは寧ろ「あれ?改めて聞かれて、わたし何聴いてるんだ?」と頭が真っ白になることもある。
全ては気にしすぎ・自意識過剰が起因している、ことはわかっている。でも、答えによって、対峙している相手の態度や対応が変わってくるのかと思うと、なんか身構えてしまう。

音楽が好きなくせに、好きな音楽がわからなくなる。恋愛ですか?これは(は?)

全然関係ないけど

恋愛の「好き」が本当にわからない。
好意とは?になってしまい、坩堝にハマってしまった。
肉欲的な好意、精神的な好意、友好的な好意、関わりとしての好意…いろんな形のある、流動性の高くて、アメーバみたいな存在、「好き」。
でもそれは時に暴力だし、脅威だし、信仰だ。
表向きはみんな大好きな甘酸っぱくて、キラキラしてて苦しくも変え難い何かを得られる脳内物質なのだけど。
わたしの今までの経歴(?)的に、脳内で「好き」という物質の生産や分解などがバグってしまうのは仕方ない話だ。逆にバグらない人は相当理性や整理整頓が得意な気がする。(これはかなりの偏見)
それでも好意っていうのはひっきりなしに分泌される。困っちゃうよね、本当に。
そしてこの速度社会。連絡が1秒こないだけで不安に駆られるようになってしまった脆弱な精神。
それが鍛えられて、「好き」の物質研究ができたら、いいんだけどな〜。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?