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空中庭園

以前、映画の #空中庭園 がパラレルワールドの移動について描いているのでは🤔という記事を書きました。 


映画しか観たことがなかったので、 #角田光代 さんの #小説 を読んでみました。

うーん、、、角田さんが私の言ってるパラレルワールドを意識して書いたのかはわからなかったんですが、"パラレル・ワールド"という言葉がなんと小説の中に出てきたんですよね!

壁紙の色と模様、光のさしこみかた、日の暮れかた、フローリングと絨毯、そういうものが異なるだけで、まるっきりの別世界だった。間取りの同じ別世界。ご近所のパラレル・ワールド。
小説「空中庭園」より

自分と同じ団地に住む友達の家が、間取りは同じなのに、自分の家とは違う世界のように見えた、ということをパラレル・ワールドと表現しているようです。

私の思うパラレルワールド(自分の捉え方を変えるだけで同じ事実でも違って見える、解釈が変わる)とは少し違うのかもしれませんが、小説の中でも、小泉今日子さん演じる絵里子が思っていた自分の母と関係性が絵里子の母が思うものとは違っていたということは表現されていました。

絵里子の視点、絵里子の母の視点、そして、コウ(絵里子の息子)の視点で描かれている絵里子の兄からの話。(小説は、6つの章に分かれていてそれぞれ6人の視点から描かれています)

それら全てを総合して見ると、パラレルワールドのようなことが描かれている?と捉えることもできなくもないですが、ただ、小説を読むのに慣れていない私にとっては少し難しかったです。

そこで、もう18年も前に観た映画の方をもう一度観ることにしました。

見るたびに少しずつ違ってるの。
少しずつ良くなってるの。
自分の記憶を夢の中で書き換えてんのよ、良い方に。
映画「空中庭園」より
それが思い込みだってこと。
思い込んでると本当のものが見えないって話。
映画「空中庭園」より


パラレルワールドという言葉は出てこないし、パラレルワールドとは少し違うのかもしれないけど、根本は同じようなことを表現しているかなと思いました。

もちろん、映画自体はこのことだけじゃなくて、もっと色んなことを表現していましたが。

ところで、映画を観て驚いたのは、私の中の映画(映像)の記憶すら自分で書き換えていたということです。

もっと分かりやすくパラレルワールドが表現されていたと思っていたのに、もう一度観た映画ではその思い込み?の部分の表現(絵里子の母の表情)は一瞬でした。

まさに、この映画が伝えていることの1つを身をもって体験しました。
私自身、自分の都合の良いように映画の記憶を書き換えていたということを。

確かに18年も前に観た映画のことなんでそこまで鮮明に覚えていられる訳ないですもんね。


それを思うと、話をパラレルワールドのことに戻しますが、私たちが持つ過去のトラウマとか嫌な思い出ってやっぱりネガティブな方向に自分で書き換えている可能性もあるんだなと思いました。

つまり、事実はもう正しくはわからない(忘れている)のだから、捉え方さえ変えればそれはポジティブなものに変えられるということ。(必ずしもネガティブがダメ、ポジティブが良いという意味ではなく)

自分のトラウマや過去の嫌な記憶が、自分を制限したり、本当の自分を出せなかったりしている原因となっているならば、それはより幸せに感じる方向へと、自分で良いように書き換えていったらいいのでは、と思いました。


なんか、数日前に夜中に目覚めてパラレルワールドのことを思ったことがきっかけで、とても深い経験をしたような気がします。

実際に18年前に観た映画をもう一度観ることによって、身をもってそれを体験できるとは。


面白いきっかけをくれた神様!ありがとう😆


ちなみに、余談ですが、豊田監督はどのようなことを考えて映画を作ったのだろうと気になってネットでインタビュー記事を探してみたんですが、核心をつくようなものが見当たらず、代わりに、 #阿部嘉昭 さんという大学教授もされている日本の映画・サブカルチャー評論家?の方のホームページを見つけました。

そしてそこに、過去に早稲田大学で講義をしていた時の生徒さんがこの映画の考察について投稿されているページがありました。

熱狂的な? #日本映画 ?もしくは豊田監督の作品?のファンのようで、とても深い考察をされていて興味深く読ませていただいたので、リンク貼らせていただきます。

もし、この映画を観られた方がいたら、観た後に読むと、こういう考察もあるのかと面白いと思います。


というか、映画監督さんも脚本家さんもほんと凄いですね。
270ページもある小説を2時間弱の映画にすることって本当に難しいんだろうなと思いました。

上のリンク先の考察でも書かれていましたが、原作そのままのストーリーではなく、原作の要となる伝えたいことはそのままに、そしてそれが伝わるようにストーリーを再構築するということは原作のある映画としてとても魅力的だと私も思いました。
もちろん、マンガとか原作のまま表現した方が面白い映画もありますが😅

今回、空中庭園という映画は、ストーリーの途中もですが、ラストが決定的に違っていました。
小説よりもとてもわかりやすくなっていて、映画としてはまとまりのある最後になっていたと思います。

でも一方で、映画の評価が0で、何が言いたいのか分からない映画だったと酷評する人もいました(笑)

人の価値観ってほんとそれぞれで面白いですね。

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