![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153457036/rectangle_large_type_2_0f06964c89447c358dbe33cbbc730879.png?width=1200)
米津玄師から受け取った贈り物『がらくた』
【救われることのなかったふたり】
スクリーンが真っ暗になり、米津さんの優しく語りかける声から、エンドロールが始まった。演者の名前が流れていくなか、言葉にならない虚しさだけが残った。
エレナ達は、爆発を最小限に抑えられたが、筧まりかの復讐は彼女自身を救うことも、山崎拓を救うことにもならなかった。奪われたふたりの未来は二度と戻ってこない。
そんな絶望を、米津さんは叫ぶように歌った。
「失くしても壊しても奪われたとしても
消えないものはどこにもなかった」
【消えないものはどこにもなかった】
ふたりが奪われた消えないもの。それは彼女達のあたりまえの日常。互いに仕事をし、共に食事をし、共に夜道を散歩する。時には喧嘩をし、抱き合い、口づけを交わす。多くの恋人たちが送っている、ありふれた生活とその未来を、ふたりは失ってしまった。
そんな、普通に生きることができなかったふたりを、米津さんはマイノリティという言葉で表現した。
「30人いれば一人はいるマイノリティ
いつもあなたがその一人 僕で二人」
【はみ出し者だからこそ】
米津さんは過去のインタビューで、自分を落伍者と言い、はみ出し者であると話していた(HIGHSNOBIETY2021)。
「自分は落伍者だと思っていた。社会的な、みんなが
やれてしかるべきことをすることが全然できない。」
曲にある「僕で二人」という箇所、そこには、自分もあなた達と同じだという米津さんの優しさが込められている。「どうしても暗い部分に目がいってしまう(日曜日の初耳学)」と話していたように、米津さんだからこそ、光の向こう側にできた影を見つめることができるのだろう。
【壊れていてもかまいません】
一般的に“がらくた“とは、誰かにとっては不用な物でも、他の誰かにとっては必要な物になることもある。米津さんは、それを人間に置き換えても同じであることに気づかせてくれた。
これまで、「痛みを知るただひとりであれ(M八七)」「痛みは消えないままでいい(馬と鹿)」「君がつけた傷も輝きのそのひとつ(カムパネルラ)」と歌ってきたのと同じように、壊れていても構わないと歌ったことは、この社会を生きる私達に新たな視点を与えてくれた。
心が壊れてしまった人ほど、人の痛みに共感できる。不用な者だと疎外されてきた人ほど、寂しい人を温かく迎え入れてくれる。がらくたの自分でも、誰かが必要としてくれるのかもしれない。
【リスクを知りつつも伝えたいこと】
このように過去のふたりを、そしてエレナや孔をはじめとしたそれぞれの人間を肯定する。それが、最後のエンドロールで、米津さんに託された役割だった。
けれども、「マイノリティ」「壊れる」「がらくた」といった直接的な言葉は、聴く者の心の傷を抉る恐れもある。米津さんは、そのリスクを知りつつも、敢えてそれらの言葉を使ったのだと思う。
前作のアルバム『STRAY SHEEP』に収録されている、『優しい人』の時にも、そのような表現について話していた。
「果たしてこの曲を世に出していいんだろうか」とも思ったんです。この曲中にはわかりやすく虐げられる人が出てくるわけですけれど、現在進行形でそういう目に遭っている人たちもたくさんいると思うんですね。この曲を世に出すということは、そういう人たちが抱く苦しみを助長する結果になるかもしれない。そのことによって人を傷つける蓋を開いてしまう形になるかもしれない。でも結局のところ世に出す選択を取った。そもそも何かをすることは人を傷付けることだとか、そういう戒めを自分の中に持っておくのが責任なのかとか、いろいろなことを考えました。
音楽家として負うべき責任。だからこそ「僕で二人」と歌い、「僕のそばで生きていてよ」「失くしたものを探しに行こうか」と手を差し伸べるように歌った。彼の音楽は、誰も傷つけたくないという誠実さと、あなたはひとりではないという優しさが込められている。
【MVで描かれた世界】
MVでは、恋人達のありふれた物語が描かれている。敢えてそれらを描くことで、山崎と筧の悲しい現実と来ることのなかった未来を想像することができる。
そして、物語の始まりに女性が出て行く扉と、最後に戻ってくる扉。それはもしかすると、山崎が2.7m/s→0と書いたロッカーの扉なのかもしれない。山崎のロッカーのなかには、筧とのありふれた日常の思い出が、大切に仕舞われていたのではないだろうか。
【構わないから僕のそばで生きていてよ】
(米津玄師 がらくた)「がらくた」を聴き、私は米津さんのある言葉を思い出した。
「僕は苦しいです」「あなたが好きです」と表明するだけの言葉すら持つことを許されていない人間がいることを知っている。今はそういうやつにこそ音楽を届けたい。きっと大丈夫だと言ってやりたい。世の中そんな大したもんじゃないと教えてやりたい。わたしだってここまでこれたもの。
『がらくた』は、誰も気づかないような狭くて暗い隙間で蹲る私達に、“それでも生きていていいんだよ“と歌ってくれている。そして、壊れた自分の欠片がたとえ見つからなくても、「どこにもなかったね」と共に笑い、隙間から覗く明るい空を一緒に見上げるような、希望を与えてくれる曲だ。
「この世は生きるに値するという音楽を届けたい」という米津さんの願いが込められているこの曲が、今この社会を生きる多くの人に届くことを願う。そして、救われなかった筧まりかと山崎拓にも、どうかこの歌が届いていますように。