映画【ソローキンの見た桜】
舞台は日露戦争のさなか、愛媛県松山市。
ここにはロシア兵の捕虜収容所がありました。
原作はラジオドラマ。史実を元にしたフィクションですが、当時こんな経験をされた方がもしかすると本当にいらっしゃったかもしれないなぁと思いました。
ストーリーをなぞります。
映画の冒頭は現代のシーンから始まります。
テレビ番組のディレクターとして働く桜子は、先輩の倉田からある相談を持ちかけられます。
祖国の土を踏むことなく松山で生涯を終えたロシア兵捕虜の墓の数と、記録として残っている捕虜の数が合わないことに倉田は疑問を持っていました。
調べてみると日本で亡くなったとされながら、しかしロシアへ帰り着いた人物がたった一人いたことを突き止めたのです。
彼の名はソローキン。
その人物がある女性に宛てて書いた外国語の手紙には一行だけカタカナで「サクラハウツクシカッタ」と書かれていました。
ですが、記録によればソローキンが亡くなった、つまり日本を出たと推測される時期は桜が咲く季節より前だったのです。サクラハウツクシカッタ。その意味を知るべく、倉田は桜子をロシアへの取材旅行に誘います。
あまり乗り気ではなかった桜子でしたが、祖母から渡された高祖母の日記を読み心境に変化が。
武田ゆい。
高祖母の名前と、倉田から渡された資料にあった女性の名前が同じだということに気がついたのです。
何かに導かれるような思いでロシアへ渡る桜子。
さらにロシアまで電話をかけてきた祖母の口から「あなたにはロシアの血が流れている」という告白が。
現代と過去を行き来しながら映画は進みます。
松山へ上陸したソローキンの傷を手当てしたのが、自ら看護師を志願してきた武田ゆいでした。
流暢な英語で話しかけてくれる彼女にソローキンが海軍の少尉だと名乗ると、ゆいは突然泣き出します。彼女の弟は、海軍の砲弾により若くして命を落としていたのでした。
動揺を隠せないゆいでしたがソローキンの人柄を知っていくうちに、戦争によって人生を翻弄された同じ人間であることを悟ってゆきます。
2人はすぐに惹かれ合いますが、ゆいには親が決めた結婚話がありました。蝋燭屋を営む実家は、電気の普及に伴い経営も芳しくありません。
父は家のため、裕福な銀行員との縁談を勝手に決めてきたのでした。ですがこれはゆいに限ったことではなく、当時の女性は自由に恋愛をしたり結婚相手を決めることは難しかったようです。
心はどんどんソローキンに惹かれてゆくものの、ゆいは籠の中の鳥でした。
ソローキンもまたゆいへの想いが大きくなる一方で、ある問題を抱えていました。
彼はロシア国内における反政府組織の一員で、日本へ援助を求めるためわざと捕虜となり潜入してきた人物だったのです。ですが思うように活動することができず、捕虜解放の約束も遅々として進まない。ソローキンの焦りは募ります。
近づきつつある母国での内乱。反政府の立場を取りつつも、そのために人々が血を流すことがあってはならない。国の明るい未来のために尽力することが彼の願いだったのです。一刻も早くロシアに帰りたい。けれどゆいとの別れは辛い。
そんな中、内通者の采配によりソローキンがロシアへ帰還できるよう秘密の計画が立てられました。
ソローキンはゆいをロシアへ連れていく決心をします。ゆいが世話をする負傷兵を通じて手紙を託すソローキン。2人は周りの目を盗み落ち合います。
意を決したゆいは、周りの捕虜仲間の助けを借りてソローキンと共に松山を後にするのでした。
果たして2人は追手から逃れ、無事に日本を脱出できるのでしょうか。
昨今のニュースにより、日本国内ではロシアを完全なる悪者として捉える方が多いのは重々承知しています。もちろん戦争はあってはならないことです。
ですが西側からの情報しか流さない日本のテレビやマスコミを頼りに、私たちは本当にすべてを把握できているのでしょうか。
常に疑い調べ、考える必要はあると思います。
そして何より、戦争によって何の罪もない国民が巻き込まれ翻弄されてしまうのは、何処の国でも同じことです。
この作品の素晴らしいところは、どちらにも肩入れしていないところだと感じます。
日本兵もロシア兵も決して美化せず、かといって貶さず。お互いを同じ人間として描こうとしているところに好感が持てました。
個人的にイッセー尾形さんがとてもよかったです。
自分より体の大きなロシア兵たちに対して、時に人間らしい一面も見せつつ精一杯に威厳を保とうとする収容所所長の姿。愛すべきキャラクターでした。
ソローキンが手紙に書いたサクラとは何のことだったのか。ぜひ、あなたも確かめてください。
地球上から戦争というものがなくなる日が、
どうかやってきますように。