極度の心配性
うちの母親は心配性です。
それも極度の。
文字にするなら「心配症」と書いた方がぴったりだなと思うくらいに。
昔から何に対しても
「親の言うことは聞いておくもんだ」とされ、
母は自分の意見を押しつけ、
そして押し通されてきました。
まぁそこに抗わず、面倒だからと全て受け入れてきた自分がいけなかったんですが。
今年の春、母とバッチバチのバトルを繰り広げた時「心配するってなんだろう」と考えました。
心配してると聞けば耳障りはいいけれど、
度を超えたそれは「ありがた迷惑」になりかねません。
「あなたのために言っている」
という耳タコなフレーズ。
この言葉の正体、
それは「言うことを受け容れて、心配しているこの私のネガティブをどうか解消してください」
なんですよね。
相手のためなんかではない。
自分の不安を打ち消すための方便に他なりません。
ここに気がつくのに、時間がかかりすぎた私です。
つい先日も母からこんな提案が。
「これまで受けてきた会社の家族のための健康診断、もう受けられへんやろ?代わりにこれからは人間ドック受けたらええわ。」
一瞬「ん〜」と思ったものの、その場は快諾。
もちろん母は喜びました。
あとで内容を確認すると、胃カメラや胸のレントゲンなどが含まれています。
「う〜ん‥」と思いつつも、このモヤモヤがどちらのモヤモヤかの判断がつきかねました。
とりあえず放置でいいかと思い2週間ほど過ごしたけれど、やっぱりモヤモヤは晴れません。
なんとなく受けとけばいいかと考えていたけど、
ここはモヤモヤをしっかり見つめ直し熟考すべきでは?と思い直しました。
結果、ドックはキャンセルしました。
そう決めたら気持ちがスッと軽くなってモヤモヤも消え去りました。
うん、きっとこれ正解。
案の定ドックを受けるよう懇願されましたが、
今回は限りなく平和的に会話をして納得してもらいました。
とはいえ会話の中で
「お母さんのために受けてくれへん?」
と言われ、
いやいやオカシイっしょ!
と心の中でツッコミ入れときました。笑
でもね。
余計な心配をすることと、
その人を思い心を寄せることはまったく別のものですよね。そこは闇雲に一緒くたにはしたくないなぁと感じます。
娘が昨日、家を出ました。
念願の一人暮らしです。
心配はしていません。
マイペースな自由人、きっと謳歌するんだろうと想像します。
それに親子といえど、まったく別の人格。
好きなように生きたらいい。
そう、私も。
心配はいらないけど、心は寄せていたい。
その匙加減が大切ですね。