自分で問いをつくることの重要性と反証可能性について
おはようございます、わんこふです。
今日は "自分で問いをつくることの重要性と反証可能性" というテーマで話そうと思います。
まず「自分で問いをつくることの重要性」についてです。
なぜ自分で問いをつくることが重要なのか。それは全ての行動が「問い」から始まるからです。
PDCAサイクルでもPlan(計画)から始まりますが、計画とはすなわち「こうすれば上手くいくんじゃないかな?」という問いであるはずです。
逆に言えば、自分で問いをつくれない人は誰かから指示されるのを待つしかありません。
しかし、小学校から高校にかけて教育されることのほとんどが、「問いに答える」ための訓練であり、「自ら問いをつくる」という機会がなかったのが実際のところかもしれません。
そこで「どうすれば適切な問いをつくれるのか」ということについて、これから話します。
勘違いしてほしくないのが、これから話すのは「適切な問い」のつくり方であって、「正しい問い」のつくり方ではないということです。
これは、現実社会にある問題のほとんどがそうであるように、単一の正しい解があるような話ではありません。
もちろん正しい解がある事も世の中にはありますが、そういった事(例えばボードゲームや動画の書き起こし、翻訳など)はAIの方が得意だったりします。
だから、むしろ私たちは答えがないような事にこそ取り組むべきなのです。
「適切な問いのつくり方」に話を戻します。
結論としては「反証可能性のある問いをつくる」これに尽きます。
反証可能性とは、すなわち「問いの誤りをチェックできる」ということです。つまり、「誤りをチェックできる問い」をつくるのが大切なのです。
具体例で考えていきましょう。
例えば「私がアメリカ大統領になれば、ロシアの軍事侵攻を止められるのではないか」という問いをつくったとします。
果たしてこれは反証可能性があるでしょうか?
「自分がアメリカ大統領になる」というのは実質的に不可能なので問いの誤りをチェックできません。
従って、この問いは(現実的には)反証可能性がないということになります。
他にも「毎朝5時55分に起きれば、130歳まで生きられるのではないか」という問いをつくったとします。
この問いの場合、自分が死ぬときになれば問いの誤りをチェックできるので反証可能性はあります(意味がある問いかどうかは別として)。
自分が死ぬ時まで誤りをチェックできないというのはあまりにも悲しいので、おすすめなのは「短期間で誤りをチェックできるような問い」をつくるという事です。
例えば料理の時に「前回入れなかったベーコンを入れれば、イノシン酸が加わり、グルタミン酸とイノシン酸のうま味の相乗効果で料理が美味しくなるんじゃないか」という問いをつくります。
そうすれば、料理をつくって食べたときに直ぐに問いの誤りがチェックできます。
人はトライアンドエラーの中で成長します。だから「短期間で誤りをチェックできる」というのは非常に重要なのです。
もう一度繰り返しますが「適切な問い」をつくるためには「反証可能性がある問い」であるかどうかを意識することが大切です。
以上、わんこふの日記でした🐾