見出し画像

甲子園の魔物

遅めのおはようございます。
しょうもない言葉遊びをしたいがために書いている17日目。
読んでくださっている稀有な方々、ありがとうございます。

甲子園、そんなに熱中して見ているわけではないというか、実際にテレビで見た試合は一つしかないのですが、そんな中でも慶応のニュースは飛び込んできますね。
Yahoo ニュースにもこんな見出しがありました。

長髪OK、短時間練習、声出し禁止、厳しい授業、寮なし
まあ要はこれまでのスポ根文化に対する、アンチテーゼみたいなものが話題な訳ですよね。目的意識をもって、自ら考えて取り組んでいくことが重要であり、枝葉にはこだわりすぎない。ってことなのかなと感じます。

と同時に、どうしても大学まで運動部で汗水鼻水その他諸々の液体を垂れ流してたスポ根残る私は、そうは言ってもあの激戦区である神奈川県を制して、且つ仙台育英に2-8で勝つってことは、ガッツリ練習してないわけがないでしょう。と思ってしまいます。というか、ニュースで見ましたが明らかに練習を十分にしている体つきですよね。

で、何が言いたいかというとですね、

枝葉を気にしないこと=全ては効率主義

に収束されてしまうことには違和感を覚えますということです。

こういうニュースが広がっていって、書籍化され、「潜入!甲子園優勝、慶応高校の秘密!」のような特集がテレビで組まれることは容易に想像されるわけで。
駅伝で名を馳せた青山学院の原監督のように、慶応高校の森林監督も「森林メソッド」みたいなものが生まれてブランド化されていくのでしょうか。

それによって高校野球の文化や伝統という名前を付けたハラスメントが減っていくことは非常にいいことだと感じています。
一方で、効率主義になることを目的として本質であるはずの「自ら考えて取り組む力の育成」が置き去りになってしまう、そしてそんな習慣が広がっていってしまったら残念で、それこそが今回の甲子園の魔物なんじゃないでしょうか。

教室や学校でも同じことが言えると思うんですね。
何度も何度も書いていますが、子どもたちの「資質・能力の育成」が目的であり、さらに上位には完成の絵図は見えませんが「人格の完成」があるわけです。

それが、自由進度学習という方法をすることだけが掲げられていて、結果として早く進める人間がえらいというような文化が生まれてしまう、自由進度学習を下ろしているだけで、結局は先生の思うままのパッケージになるとか。
子どもたちが教師の手を離れることが目的となっていて、そこにアセスメントのない、ただ壁の花として佇む教師とか。
職員室でも同じで、タブレット端末の活用が目的になってしまっていて、教師の実態に寄り添わない振りかざされた働き方改革とか。。。

効率は確かに大切で、無駄は省かれた方が働きやすくなるのかなとも思いますが、
無駄がなぜ無駄になるのか、無駄にしているのは誰なのか。
そもそも無駄だと感じていることって、本当に無駄なのかってことにも目を向けながら、考え続けていかないといけないと思っています。
ここまで言っておいて、自分も
「時数こんなにいらんぞ!そもそも標準時数って何をもとにして打ち出された標準じゃ!」とか思ってますけどね。

まあ結局言いたいのは
効率に追われすぎる公立が教室で大事な何かを喪失する教育を構築してなければいいなってことでした。

めっちゃ韻踏めて気持ちいいからおしまい。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集