5.バールの正しい使い方
タイトルを見たときに、「ああ、確か棒状の凶器一体を総じて、『バールのようなもの』って表現するんだよな」と、不確かなネット記事を読んだことを思い出した。
話の中では、「バールの怪人」という、あるときはバール女、あるときはバール男、バール仮面とその名称はいろいろと呼ばれ、木刀やら鉄パイプやら、とにかくバールのようなもので襲いかかってくる恐ろしい都市伝説として描かれていた。
父親の都合で幼いときから、転校を繰り返す主人公の礼恩(れおん)。この礼恩が、学校の中で起こったトラブルを中心に、見事な推理(推測)を繰り広げていく。
転校を繰り返す中で礼恩は「擬態すること」が得意となった。いや、そうせざるを得なかったのかもしれない。新しい学校、学級で自分の意見や主張を推し進めるのではなく、転校生としてうまく生きていくために、いかに周りの空気に合わせるのかを大切にしている。それでも推理のときには「これはぼくの推測だけど・・」と、堂々と自分の考えを述べる姿がある。
ここからは完全に私の想像でしかないけれど、おそらく礼恩は学級で意見を主張しても、周りの友達とうまくやっていけるタイプであるように思う。それでもしないのは、自分らしさとか生きやすさを礼恩なりに見出しているからなんだろう。
各章のタイトルは、狼とカメレオンのように〇〇と(の)カメレオンとなっている。これは主人公の要目礼恩(かなめれおん)という名前と、彼の得意な「擬態」からカメレオンとした、作者の遊び心だろう。
バールの正しい使い方という題名から、正直、かなり禍々しい結構猟奇的殺人みたいなことをイメージしていたのだけれど、読んでいくと想像とは程遠く、どの章の話にも、心に傷を負った子どもたちが出てくる。
この子どもたちの心の傷の多くが、大人の身勝手な考え方と残念な生き方や欲がもとになっているものもあって、そのあたりは読んでいても苦しい部分もあった。とくに、「靴の中のカメレオン」は、何とも言えない気持ちになる。
その「靴の中のカメレオン」に出てくる、靴の中に入った小石という表現。きっと喉に刺さった小骨みたいな言い方で、近い意味合いとしては、よく目にするのだけれど、それともまた微妙なニュアンスの違いが出る表現で、このときの感情を表現するのに絶妙だなと感じた。
こういう日常の中の誰もが経験したことであるであろうことと、そこに付随する感覚を鋭敏に表現されているのを読むことが、小説を読むことの面白さの一つだよなと思う。
1月、楽しく小説を読めている。これからも少しずつこの調子で。