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本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む

こんなことを呟いていた。
実際、そうはいっても読書はめちゃくちゃしているんだけれど、「読書をする」という行為自体に、もうそこまで縛られなくていいかなと思って、こんなことを呟いた。そうしたら読書仲間だと思い込んでいるamyさんからこんなお返事をいただいた。

そうして、紹介された本が題名の本だった。

また、不思議な本をお勧めするなと感じながら、「あのamyさんがむやみやたらにおすすめすることもないだろうな」と思い、ひとまず本屋に行ってみて、手に取って立ち読みした。
衝撃だった。めちゃくちゃ面白い。普通に声出して立ち読みで笑った。続きを立ち読みのまま読み切ってしまうのは勿体無いと思い、家に帰って一気に読んだ。

タイトルの通り、本を読んだことのない、みくのしんさんが「走れメロス」「一房のぶどう」「杜子春」「本棚(みくのしんのために、『変な家』の作者である雨穴が執筆)」をかまどさんとおしゃべりしながら読んでいくお話。
物語のように言ってしまえば、読んでなかった人が読むことを通して、読書の面白さに気づいていくっていう淡白な話なんだけれど、読んで受ける印象は、そんなに単純なものではなかった。

読書に関してはどこか、本を読む人・読まない人という区分けがあって、なぜか読む人の方が偉いみたいな位置関係が存在しているように思う。自分自身の中にもそういう意識があった。

みくのしんさんはかまどさんの手助けを借りながら、何時間とかけて一編の話を読んでいく。それも読みやすいように1行1行声に出して。
声に出しながら味わっていく中で、情景描写を映画のように見事に捉えていたり、登場人物の背景をとても豊かに想像したり、これまで自分がしたこともない凄まじいほどの感情移入をさせて読んだりしていく。読書中に平気で号泣する。

私自身がこの本を読みながら、さっきまで「読まない人」に分けていたはずの人から「一体どうしてこんな読み方ができるんだろう」と突き付けられる。
それは、「これまで自分自身がしてきた読書って読書と呼んでいいんだろうか」そもそも自分は本当に「本を読んでいた人」なんだろうかと、恐ろしい現実を問い直させられる。

それは、一緒に読書体験をしていたかまどさんも同じ気持ちだったようだ。いや一緒にいたら、それ以上に感じていたと思う。そんなかまどさんに、みくのしんさんは笑いながら、かまどさん自身がみくのしんさんに何度も言っていた「本に正しい読み方なんてないんでしょ?」と語りかける。

自分自身のこれまでの「本を読む」という行為について、そしてこれからの「本を読む」という行為について、すごく向き合うことのできる一冊だった。
amyさんに感謝しなきゃな。

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