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おれは、ディレクターズカットを待たずしてプレイしたのだが、「デス・ストランディング」は結構マジでいいゲームだと思うので、みんなやったほうがいい

デスストランディングは名作。いいね?

■最近、ずっと配達ゲーことデス・ストランディングをやっていて、やっとシナリオが終わった。なんかもうしばらくしたらディレクターズカットめいたものが出るようで、丁度良いので未プレイでハードを持っている人にはぜひおすすめしたい。

ゲームは、広大なフィールドでひたすら荷物を配達するものだ。そう聞くとなんだそれと思うだろう。自分もなんだそれと思ってナメていた。しかし、やってみると思った以上に面白かったし、なんか色々感じさせるものがあるような気がしたので、今日はそれを紹介したい。

作家は「KOJIMA HIDEO」。言うまでもなく、メタルギアシリーズの生みの親である。色々あって、今はコナミを辞めて、自分のスタジオでゲームを制作する身分となっている。

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■舞台は、荒廃した北アメリカだ。人々はやたらと僻地にあるシェルターみたいなところとか、地下にある都市みたいなところで暮らしている。その世界で物流を担っているのが「配達人」だ。どうやら、「デス・ストランディング」なる天変地異的なものにより、かつての都市は破壊され、バラバラになってしまったようだ。フィールドは想像するアメリカよりだいぶ小さいが、それもなんかきっと天変地異の影響なのだろう。

地上には「時雨(タイムフォール)」なる、酸性雨のめちゃくちゃヤバいヤツみたいなのが降っていて、構造物とかはすぐに壊れてしまうらしい。どうも、時雨が触れるとそこだけ時間が経過するみたいな話だ。それで人々はシェルターで暮らしている。そんなわけで、地上には草ぐらいしか生えていない。

そればかりか地上には、BTなるナゾのオバケのような怪異が存在しており、なんか理屈はよくわからないが「時雨」が降るとそういうのが出てくる。つまり危険が危ない。ちなみに、自分は一回うっかりBTに捕まってしまったのだが、容赦なくマップの一部分がバカでかいクレーターになった。まだ治ってないから、たぶん治らないのだろう。

そんな世界にも物流は必要だ。たぶん構造物がすぐ壊れてしまうからなんだろうと思うが、現代のような列車とかそういうのはほぼない。車とかは多少あるが、道路があんまり整備されていないので、結局、人間が背負って運んでいる、みたいな世界だ。

主人公は「サム・ポーター・ブリッジズ」。サムは、見た目どおりタフガイであり、つまりノーマン・リーダスだ。よくわからないが配達人をやっている。いきさつはわからないが、デカい配達組織であるブリッジズ・・・いわばスーパーでいうイオンやヨーカドーだ・・・という組織とは微妙な関係だが、妙に要人に顔が効くようだ。なんやかんやあって、ブリッジズの頼みを引き受ける格好で、サムは、カイラル通信なるハイパーテクノロジーめいためちゃくちゃスゴイ通信技術を使って、アメリカを繋ぎなおすという一大事業を引き受ける。

物語の設定はそんなところだ。

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■ゲーム的には、いわゆるオープンワールド的なフィールドをひたすら荷物をしょって歩くものだ。オープンワールドといったが、ちゃんとシナリオに沿ってゲームを進めないと、たぶんシェルターとかには相手にされないので、定義的に若干微妙なところはあるが、取り敢えず、自由にフィールドを歩く権利はある。

そもそも、多少バトルがあろうが、アイテム収集があろうが、古くからJ-RPGの伝統は「お使い」と相場は決まっている。たぶん、JでなくてもRPGはだいたいそういう感じだろう。多くの大人が成長とともに気づくように、ザコキャラが多少出てこようが出てこなかろうが、ダンジョンにボスが控えていようがいまいが、結局、レベルを上げて物理で殴れば、ほとんどの敵は、よしんば設置されていたところで普通に倒せる。つまり、バトルというのは実のところ単なる物語を盛り上げるためのフレーバーであって、本質は「お使い」をしているわけである。

本作は、そこに正面からストレートを叩き込んだ格好だ。お使いなんだからお使いすればいいじゃん。監督がそう思ったかどうかは知らないが(たぶん違う)、自分はそう感じた。清々しい。とても清々しい。一応、ドラマを盛り上げる程度には、バトルも発生するにはする。

苦労して荷物を運ぶという設定である以上は、マジで険しい道とかが普通に出てくる。マップを見たり、山を眺めたりして、移動しやすそうなルートを考えて荷物を運んでいくのだが、どうしても想定外の崖とか、思ったよりヤバい川みたいなものに出くわす。そういう時は、ロープをうまく使ったり、梯子をかけたり、なんなら橋を建設したりして乗り越えていく。そういうルートを考えて、踏破する・・・つまり、登山のような・・・そういう楽しみが、まず一つだ。仮説を立てて、実行して、うまくいっても気持ちいいし、想定と違っても、知恵を絞ってなんとか乗り越える策を見つけ出す。それが楽しくないはずがない。

そして、果てしないとも思える道のりを歩むとき。ふとした瞬間に素晴らしい音楽が流れるのだ。ささやかなご褒美のように。ゼルダやワンダが提供してきた開放感のあるフィールドを旅する楽しみや、ツシマが見せた鮮やかな風景などとはまた違った、過酷で寂寥な世界の旅。それは一見孤独で寂しいが、ときおり心洗われる宝物を発見するような。そんな旅だ。

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■しかし、それよりももっと嬉しくて心が温まるのは、この世界には、直接会うことはほとんどないが、多くの配達人がいるということを感じる瞬間である。デス・ストランディングは、非同期型のオンラインゲームである。つまり、姿は見えなくても、フィールドには多数の他の配達人・・・つまりプレーヤーが沢山いて、その息吹を(息吹だけを)感じることが出来る。

どういうことかというと、このゲームは、難所を乗りこえるために、様々な道具や構造物を用いるというデザインになっている。そうした、ハシゴやロープ、そして橋などは、他人が設置したものであっても利用することができるのだ。もちろん、自分が設置したものも、どこか知らない誰かの世界に現れる。思いがけず最高の場所にかけられているハシゴ、めちゃくちゃ便利な橋、そしてよくわからない看板。そういったものが、あちこちでサムを出迎える。これが人の姿は見えないのに、不思議と温かさを感じさせるのだ。

荒野も多くの人が歩くと、そこにいつの間にか道ができる。移動しやすくなるのもさることながら、何より、安心感を感じる。

配達人は孤独である。しかし、世界には数知れぬ自分と同じ孤独な配達人がいる。社会と同じだ。社会はいつも人々を悩ませる。人間関係というのは非常にやっかいなものだからだ。デス・ストランディングのアメリカには、他人は非常に少ない。触れ合う機会もほとんどない。ただ、痕跡やメッセージだけがそこに残されている。

果てしない時雨にさらされ、心身も荷物もボロボロ。そんな時にたどり着いた雨宿りができるシェルター。もう歩きたくないと思った時に見つかるバイク。人がどういうつもりで、そこに物を置いたのか。それはわからない。たんなる偶然なのかもしれない。しかし、なぜかそうした残置物には、人の暖かな善意がこもっている。そう思わずにいられないのだ。

これは不思議な体験だ。ゲームである以上、当然にルールは明確であり、ネガティブな他者への干渉ができない制限されたデザインであることもわかる。ただ、逆に、人に親切にすることもそう簡単ではない。心温まる言葉をかけることなどはできない。心を込めて設置したモノも、ルートが少しずれていれば全く役に立たない。人々が目にするのは、様々な偶然が重なった結果、目の前に現れた誰かが設置したモノがただ残されている姿。それだけだ。これは、とても不自由なコミュニケーションだ。しかし、そこに人は素朴な善意を見出してしまう。この不思議な体験をすることが、このゲームをプレイすべき理由の最も重要な部分だ。

それは仕組まれた偶然なのだ。他人の設置物は全てが自分の世界に反映されるわけではない。何らかの制限が設けられている。どうしても自分で建造物等を設置しないと不便でしょうがない場面というのは出てくるものだ。仕方なく、資源を消費して建造物を設置する。たぶん、多くの人も同じ理由でなにかモノを設置している。そういったものが、ネットを挟んで知らない誰かの世界に、偶然、意味を持つ形で現れる。善意を伴ったモノとして。こんないい場所に、こんな便利なものを設置してくれるなんて!

制御され、人々が善きことをなすように誘導された世界。それは言葉にするとディストピアのように聞こえるかも知れない。すれ違いがあり、傷つくことがあり、なんなら対立や諍いがある。それが、リアルな社会だ。それこそが、自由な世界の姿である。自由に人とつながり、自由に人をほめ、そして自由に人を中傷したりだましたり。それがソーシャルネットワークで、あるがままの世界だ。しかし、それは幸せな世界であると本当に言えるのだろうか。そんな問いかけすら感じる。

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■自由な世界を否定することは容易な事ではない。しかし、サムがつなぐ不自由な世界で・・・小島秀夫が仕掛ける世界で・・・人は多くの善意を体験し、信じられないほどの「いいね!」を得る。不自由だから、制限があるから生まれる心地よい世界を体感する。

ゲームの良いところは、世界を体験させることができるメディアだ、というところだ。メッセージは言葉にしてしまうと、メッセージ性が強すぎる部分がある。人は、そんなものを簡単には受け入れない。しかし、メッセージが体験を通じて現れてくると、また受け入れ方が変わってくる。

デス・ストランディングは、そんな、ゲームだから伝わるメッセージ、そういったものの可能性を感じさせる素晴らしい作品だ。文字通りのゲームデザインとメッセージが融合する、非常に優れたデザインである。シナリオは例によって多少込み入っているが、SFの物語としても十分楽しめる。結論をプレイヤーに預けるような余韻があってなかなかいい。シナリオが伝えるものとゲームプレイから感じるもの、それらがプレイヤーの中で複雑に混ざり合い、なんとも言い難いが印象深い記憶となって残る。

そんなシブいゲームだ。

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