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催眠療法は単なるプラセボではなく、思考のパターンを変える、いわば痛みから抜け出す〝脳のトレーニング〟

自傷行為者は自傷行為をしない人にくらべて両手を氷水に長い時間つけていられる、すなわち痛みへの耐性が高いことを示している。興味深いことだが、自分の情動のコントロールに多大な困難を抱えている人々は、より長時間にわたって身体的な苦痛にうまく対処できるようだ。これは自己批判の程度が高い人についても当てはまる。自己批判に注目すると、自己評価が低く、「自分は罰を受けて当然だ」という信念が強い人ほど、より長い時間痛みを我慢しようとするらしい(中略)研究によると(自傷行為者、対照群ともに)自己信念がとても弱い人では、痛みの緩和だけでなく、痛みの経験それ自体が気分を改善することもわかっている

水風呂

催眠術師→ペンジュラム振る

なぜ、日本は催眠を医療として認めないかというと、ある事件が原因です。明治40年代、日本に催眠術ブームが起こり、御船千鶴子という千里眼と呼ばれる透視能力を持つ術者が現れます。千鶴子は東大教授の福来友吉氏によって本物と認定されますが、その後、実験方法や結果に不明な点がいくつも見つかり、最終的にはインチキと判断されてしまいます。その後、千鶴子は自殺、福来教授は東大を追われたため、日本の学会では催眠術を専門分野にすることへのアレルギーが起きてしまうのです。「催眠のようなインチキくさいもの、あるいは検証が難しいものに手を出すと、福来教授のようになるぞ」と。こんな100年以上前の出来事がいまだに尾を引いているというのですから、日本の医学界は遅れている(中略)暗示を縦横に使う催眠が認められないのは本当におかしな話です。その点、アメリカの統合医療の世界は、有名な心理療法家であったミルトン・エリクソンの活躍もあって、催眠術、暗示の効果を高く評価しています。

ミルトン・エリクソンのように、ポリオという病に二度も倒れることはほとんど誰も経験することはないでしょう。確かに、音痴で、色覚障害で生まれることも真似できません。エリクソンは、自分の感受性が高まったのは、先天的、後天的虚弱体質を伴う生涯をかけた闘いに対する運動感覚の手掛かり kinesthetic cues に、身体力学 body dynamics に、そして、感覚知覚機能 sensory-perceptual functioning の変性モードに起因していると考えています。これらの問題を軽くしようと研究と努力する中で、エリクソンは、治療者としてのライフワークに向けて機能する変性パターンの個人的認識を手に入れました。加えて、エリクソンはライフワークをするにあたって、素晴らしい想像力と創造力、高度な感受性と直感力、鋭敏な注意力、事実と出来事を記憶する力、および刻一刻と変わる状況に合わせて、経験をまとめる特別な能力を使いました。ここにはそうしたいと思っても真似できるものは、ほとんどありません

若きエリクソンは本を売りに来たのだが、おそらくスーツとネクタイを着用していて、いかにも営業マンという雰囲気だったため、農夫は違和感を覚えた。たぶん「都会からやって来たきざなヤツだ」と心の中で思ったに違いない。しかし、実際にはエリクソンは田舎育ちだった。当初、農夫はエリクソンを相手にしなかったが、この若者はその場にあった木片を拾い上げて豚の背中をかいた。これは農家の人しか知らない習慣だった。この単純な行為によってエリクソンは農夫とのつながりをつくり、たちまち信頼を得たのである。急に農夫はこの若者から本を買いたくなった。人間が論理的な理由よりも感情的な理由で買う傾向があるという証しだ。

トランス状態のときの脳波(EEG)をとってみると、深い集中や記憶の想起に関係がある「シータ波」の活動がかなり優勢だった。じつは、このタイプの脳の振動は催眠療法を受けている人々でも一貫して観察される。苦行僧の並外れた能力はわれわれ凡人にはとても手が届かないし、何年もの修行の末に達成されるものだが、こういった例から、痛みに関して脳がいかに大きな影響を及ぼしているかがわかる(中略)催眠がその秘密を明かし、(ある種の痛みも含む)さまざまな病状に対する科学的に正当な治療手段であるとみなされるようになってきたのはごく最近のことだ(中略)催眠による効果は、痛みを感じている参加者に強力な鎮痛薬だとしてプラセボを与えた場合の鎮痛効果をはるかに上回っていた。催眠療法の有効性に関してプラセボ効果がひとつの要素であることは間違いないけれども、それ以外のことも起きている(中略)催眠というと、権力志向が強くマインドコントロールの能力に長けた催眠術師が人々を失神させたりニワトリの鳴きまねをさせたりするという典型的なイメージがあるため、自分自身のコントロールを失うものと思いがちだけれども、催眠はむしろそのコントロールの能力を高めている(中略)さらにいうと、その効果は単なる注意の拡散、ひどく気が散った状態だけからもたらされるものではない(中略)実際、催眠によるこういった──脳内で痛みの回路を遮断する──効果は、fMRIイメージングで確認されている(中略)催眠療法は痛みを改善するだけでなく、長く持続する効果が得られる(中略)これらの研究は、催眠療法は単なるプラセボではなく、思考のパターンを変える、いわば痛みから抜け出す〝脳のトレーニング〟であることを物語っている(中略)催眠認知療法(認知行動療法と組み合わせた催眠)は持続痛の軽減にひじょうに有効で、催眠あるいは認知行動療法を単独で行なった場合よりも効果が高いことが明らかになった(中略)自己催眠で急性痛の痛みは完全に排除できる(中略)プラセボ効果が次第に強くなった結果として、製薬会社では新薬の有効性を示すことがいっそう困難になっている(中略)これは製薬業界にとっては頭の痛い問題だけれども、時間を割き、注意を向けることによって治療の鎮痛効果が高まる可能性があるというエビデンスの充実につながっている

笑い話だが、リングブームが来る前(映画化以前)、(読書家や雑誌の編集長、編集者などがいた山頂に泊まり込む)バイト先の先輩のひとりにリングの作者である鈴木光司氏のファンがいて、私は独りで山頂に泊まり込む日に手持ちの本がなくなると借りて読んでいた。ホラー作家だとは知らなかったが、なんだか怖い話というイメージだった。そのため、夜中に登山者(山屋)が付近を通ると本当に怖かった。年末に年越しそばを夜中に届けられたときも怖い思いをした(私を怖がらせるために来てくれた)。スキーは、この当時(30年前)ナイターのリフト1本で挫折し、今になってスキーに苦労し、スキー習得努力を怠ったことを後悔している。福島原発事故時、沖縄に移住後、ようやく滑るチャンスがあったときに滑っておけばよかったと気づいた。話をがん治療に戻すと、腎臓の毛細血管が傷つくと尿毒症から敗血症、劇症肝炎と死に直結する標準的な流れ(なぜか隠されている)になることが多い。この標準治療の標準的な流れを止めるためには、トリッキーな対策(奇をてらった術策にたけた巧妙な技術)で鎮痛剤などの摂取量を減らすことが不可欠。アメブロなどの闘病ブログでは、尿毒症の後に敗血症や劇症肝炎→死に滑り落ちるケースが最も多いと思う。「あれよあれよ」という流れ、「あれよあれよ」という標準的なパターンとは、腎臓の毛細血管が破綻し、体内に毒が蓄積したタイミングを指す。肝臓や腎臓への解毒負担が少なく、負担と効果の比率が高い手法を選ぶのが賢い手法だ。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/nab78019c6ef0

https://note.com/wandering_1234/n/n30a180c7f006

https://note.com/wandering_1234/n/n31c3395b99e4