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「自己信頼(自分を信じて生きなさい)」こそは、スピリチュアリズム思想の出発点

信心深さとスピリチュアリティは痛みの処理を助け、痛みの強さを和らげる場合さえある(中略)信念は痛みを楽にすることができるようだ(中略)痛みよりも重要なことがあると脳が判断したときは、脳による鎮痛の作用がはたらく(中略)何かが誰かの痛みを和らげるなら、その何かは誰かの苦痛を軽くしている───それがよいことでないわけがない(中略)次第に明らかになりつつあるのは、治療を施す人はその治療を受ける人の苦痛を和らげることに巨大な影響力を持っているという事実だ。まず、誰かが自分の痛みを止める処置をしてくれるのを目にすること自体が鎮痛になる(中略)自信は伝染する。患者さんは言葉以外にじつにかすかな手がかりを感じ取ることができるし、またそれが本人の鎮痛に対する期待に大きな影響を与えることもある

情報分析官

自信に満ちた謙虚さは、習得することができる(中略)謙虚すぎると、自己肯定感が低くなる(中略)「謙虚さ」という言葉は、正しく理解されていないことが多い。謙虚さとは、自信を控えめに持つことではない(中略)語源はラテン語で「from the earth(地から)」そして「grounded (根ざしている、地に足がついている)」を意味する。元来、「謙虚さ」とは、しっかりした知識や能力、つまり自分の過ち不確実さを認識する力を表している

情報分析官

日本で「スピリチュアリティ」を実行するとすれば、仏教の枠組みの中で考えることになるでしょう。いかに悟りに近づいていくかが日本人に理解しやすい「スピリチュアリティ」ではないかと思います(中略)「悟りとはこの世が幻であることを理解する」こと(中略)悟りは超えていくもの 

情報分析官

真に創造的な業績とは、ほとんどの場合、暗闇で電球が点灯するような突然のひらめきによってもたらされるものではなく、長年の努力の結果(中略)「創造的」という評価に値するアイデアや成果は、多くの源泉の相乗作用から生じるものであり、決して一人の人間の精神から生まれるものではない、ということ

情報分析官

それでは、進化論における新しい局面というのは、何のことだろう。それは、シェイクスピアについての新解釈といくぶん似たところがある。すべては台本に書かれているが、なぜだか見過ごされてきた。

情報分析官

深く考え覚悟を決めたからといって、少人数では世界は変えられない、などと思ってはならない。実際に世界を変えてきたのは、そういう人たちだけだ。

情報分析官

姿勢には心理的な効果もある。身体の運び方が自分自身に対する考え方や感じ方に影響を及ぼす

情報分析官

姿勢によって、達成できる動きが決まってくる。同じように、私たちが知的世界を探求する方法は、認知姿勢によって異なる。

情報分析官

物理的な姿勢は、メンタル的な姿勢がそのまま反映します

情報分析官

餌に十分な量の食物繊維が含まれると、バッタは食べる量を増やさなくなった。

「犀の角のようにただ独り歩め」(中略)「私(仏陀)が教えたことなんか、どうでもいいかな。それよりも、もっと自分自身を信じて生きなさい。今の自分を信じて生きなさい」と言った。そして死んだ(中略)これがブッダ本人の本当の思想だ(※エマーソンの思想とまったく同じ)(中略)「自己信頼(自分を信じて生きなさい)」こそは、スピリチュアリズム思想の出発点(中略)「自分で自分を助ける」の意味の「自助」という考えは、その後、日本では1980年ぐらいから「自己啓発」と訳されてきた(中略)(※フランス語の)L'esprit レ(エ)スプリ は、英語のspirit スピリッツと同じで、霊魂のこと(中略)この「霊魂、スピリット」とは、それは intellect インテレクト=(知能・思考)のことなのだ。あるいは、=mind マインド「考える」ということだ(中略)「コギト・エルゴ・スム」という偉大な真実をはっきり言葉にしたデカルトが偉大なのだ(中略)スピリチュアルは宗教ではないのだ。教祖や神を拝まない。それでは何を拝むのか。崇拝するのか。だから自分を、だ(中略)「今の自分を信じて生きなさい」(自己への信頼)である。これがスピリチュアリズムだ(中略)デカルトが最大級に偉大なのは、「私が考えた。だから私は存在する」※引用者加筆.

デカルトの唯物論的な宇宙(中略)ルネ・デカルトが、我々が確実に知ることのできるのは「我思う、ゆえに我あり」という前提だけであるという単純な信念に基づいて、西洋哲学を解体・再構築した。アインシュタインも物理学においてそれと同様の方法論を取った

悪い子の痛みや治療に関する問題は、筋斗雲に乗るためにはいい子にならなければならないように、悪い子はいい人の話を聞いたり読んだりするとストレスホルモンのコルチゾールが分泌し、治病が進まない状況にある。結果、痛みに甘んじることを美徳とする宗教にしがみつかなければならず、宗教の戒律として痛みを肯定的にとらえる、といった一方向の解決に限定されてしまう。改善する唯一の方法は、考え方を変えることだ。

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https://note.com/wandering_1234/n/na39b17f3093c