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ルノワールにはユーモアと魅力がたっぷりある。彼が存在するだけで晴れやかになり、彼が退出した後も熱気がいつも少し残っている

最近の研究によれば、タイタニックは、船殻 (せんこく) に打ってあるリベットの金属が高品質であれば、氷山と接触したぐらいでは沈没しなかっただろうといわれている。

ドガもマネ同様に浮世絵を収集し始めた(中略)ドガは、パリの 「浮世」を描いたのだった(中略)上層ブルジョワ階級出身の、ドガ、そしてカイユボットが労働者に対して向けたドライな視線と違い、ルノワールは労働者階級に対して常に温かい視線を注いでいた。人生の現実であり、闇の部分を肌身に感じていたルノワールだからこそ、あえて人生の喜びしか描かなかったのである。彼は観ていて楽しくなるような絵しか描かなかったのだ(中略)13歳から働きづめに働いてきて、やっと経済的な安定を得たルノワールは、1881年2月末から3月にかけて40歳にして初めて外国へと旅に出ることにした。

ドガ

ドガは、神秘的な人間が好きだった。───ルノワール(中略)ルノワールは、彼自身が法律なのだ。彼は自分の好むことはなんでも出来る───ドガ

私が《大芸術》と呼ぶものは、単純に、ひとりの人間の全能力がそこで用いられることを要請し、その結果である作品を理解するために、もうひとりの人間の全能力が援用され、関心を向けねばならぬような芸術のこと(中略)あらゆる分野において、真に強い人間とは、何ものも前もってあたえられていない、すべては構築せねばならない、すべては買い求めなければならないと、もっともよく感じている者のことである

ルノワール

ルノワールは画家ベルトに最大級の敬意を抱いている(中略)ベルトは彼 (※ルノワール)の心の優しさを認めている。彼(※ルノワール)にはユーモアと魅力がたっぷりある。彼が存在するだけで晴れやかになり、彼が退出した後も熱気がいつも少し残っている(中略)オーギュスト・ルノワールはオペラ歌手になることもできただろう。彼は美しい声をしている。───ベルト ※引用者加筆.

マティス(引用者撮影)

マティスは1919年6月のルノワールの死の際、こう宣言している。「ああ、ルノワールは奇跡だった(中略)(※死の数時間前に)(※ルノワール)は看護人にこうつぶやいた。「ようやく何かわかりかけてきたような気がする」※引用者加筆.

ルノワール

フランス中部リモージュの貧しい仕立て屋の家に生まれたルノワール。 生活は苦しく、わずか十三歳でパリの陶器工場で見習い工として働き始めた(※当時、工場労働者は一日約五フランの収入。今の価値で2500円〜5000円)※引用者加筆.

ルノワール

地方の貧しい職人出のこの画家(※ルノワール)は、27歳にしてようやくパリの芸術家として出発 ※引用者加筆.

ルノワール

ルノワール。彼は上流社交界の女性を描くのを好まず、庶民の娘たちを多々モデルにした

ルノワール

磁器工場を(機械化のあおりを受け)失職後、ルノワールはさまざまな雑用をこなしお金を貯め、一八八六年、エコール・デ・ボザールに入学した(中略)それまで旅といえるような旅をしたことのなかったルノワールは、内海一つ隔てたところに、南フランスの空よりも、もっと青い空があることをはじめて知った。

ルノワール

「人生における目的」とか、成功とか失敗とか、報いとか罰とかいう観念は、ルノワールには無縁のものだった(中略)ルノワールは、めったに、教会に足を踏み入れなかった。 一度もなかったと言えるほどだ(中略)目下のわれわれの問題は宗教なのだから、ルノワールと無神論について、二、三つけ加えておきたい。彼の友人の多くは (そのなかには極めて親しい、遠慮のない間柄の人たちもいた)、無神論者だった。そういう人びとは、ルノワールも自分たちの仲間だと思っていた。彼らには、彼らのような革命的な絵を描きながら同時に神を信ずるなどということは不可能と思われたのだ(中略)ところが、これまた父(※ルノワール)の友人で、熱烈なカトリック信者であるような人たちは、父の信仰の正当性になんの疑いも持たなかった。彼は、人びとを苦しませることをひどく恐れていたから、彼らの意見に逆らうのを避けていたのだ。 だから、皆、自分が選んだルノワールが真のルノワールだと思い込み、ルノワールが心のなかで、自分たちの論争を無駄なお喋りだと思っていることなど、少しも気付かなかったのだ(中略)(※ルノワールの息子ジャンの回想)ルノワールはいつも三等で旅行したが、これはそうせざるを得なかったからだ。だが、かりに一等で旅行出来るだけの資力があったとしても、そんなことに金を使いはしなかっただろう(中略)じつのところ私(※息子のジャン)には、絵画とはなにかがまったくわかっていなかった。一般に芸術がどんなものでありうるか辛うじて推察できるだけだった。私の眼に見えるものといえば、この世界のかずかずの外見だけだった(中略)だが、今私にはわかっている。われわれを助けてものの外見を超えて見せること、われわれが身に負うた物質の重荷をいささかでも取り去ること、インド人流に言えばこうしてわれわれを「解脱させる」こと、これこそ偉大な人間が果たす役割に他ならないのだ。───ジャン・ルノワール(中略)歴史とは本質的に主観的なジャンルです(中略)ルノワールは、批判され、けなされ、しばしば罵られてはいたが、晩年に至って、ついに自分というものを世間に押し通すことができた。※引用者加筆.

ルノワール

密教、バラモン教は苦しい修行で解脱、しかし他力。自力でもあり他力でもあるのが釈迦仏教───苫米地英人博士(著書名失念)

ルノワール

晩年のルノワールは、リューマチのためにほとんど指が使えなくなり、手に絵筆を縛りつけてカンヴァスに向かうという不幸な状態にまで追いつめられていたが、しかしそれにもかかわらず、その絵筆から生み出された作品には、少しも苦しみや不満の影はない

ルノワール

晩年のルノワールは関節炎で両手が不自由になっていたが、ジャーナリストから「そんな手になって、いったいどやってお描きになるんですか?」という真面目な質問を受けたときに、こう答えた。  「あの棒で描くのさ」「この冗談を聞いても誰も笑わなかった」と、ルノワールの息子で映画監督になったジャン・ルノワールが書いている。「この返答こそ、感動的な、真理の表現だったからだ。物質が精神に変形されるという奇跡に対する、世界の歴史において稀にしか発言されぬ希有の証言の一つだったからだ」───ジャン・ルノワール

極端な例えだと、タイタニック号が沈んでしまって突然の死が訪れた場合は、最後の懺悔ができないので、最後に残った罪により煉獄に行かなければならないことになる(中略)カトリックでは、罪の内容により煉獄でどのくらい過ごすかが決まるが、懺悔をすればどのような罪であっても赦され天国に行ける。神父がイエスに代わって「あなたは心から懺悔したので、イエスは赦します」と言えば、罪は赦されるのだ。つまりこの言葉が出ない限り赦されないという意味でもある(中略)一方、プロテスタントの牧師は、カトリックの神父のように赦しを求める懺悔を聞かない。なぜなら心の中で懺悔すればいいからだ(中略)キリスト教やイスラム教なら、絶対に地獄に落ちてはいけない。キリスト教の天国と地獄を仏教の立場で考えた場合、どちらに行ったらイエスに出会えるかといえば、それは地獄だと思う。地獄にこそイエスを必要としている人がいるはずだ。天国に行ってもそこにイエスはいないだろう。「イエス様は真っ先に地獄に行った」「地獄こそイエス様の場所」というのが、仏教的な考え方だ(中略)「私もいずれついていきますから、進んで地獄に落ちてください」と言いたい。私も、役に立とうと思えば地獄のほうだ。地獄にこそ人材が必要だろう。

まずは体内で一酸化炭素が発生しないようにすること、そして酸性体質の傾向を取り除くこと。このあたりは西式健康法から学んでください。温冷浴は1日2回。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/nc7a7fc2b9c69

https://note.com/wandering_1234/n/nbf551fb06607


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