見出し画像

マルティン・ルターがクリスマスイブに星空を見て、ツリーをキャンドルの灯りで飾ることを最初に思いついた

この絵(※ボッシュの『この人を見よ』)は、北方ルネサンスのオランダ民衆の決起、そして血みどろの弾圧、虐殺が起きていた1480年ぐらいに描かれた作品だ。この時代は、イタリアのルネサンス運動(思想闘争)とまったく同じ時代だ。かつ、北方ドイツではマルティン・ルター派のプロテスタント都市同盟(シュマルカルデン同盟)と、神聖ローマ帝国軍(皇帝カール5世)が血みどろのシュマルカルデン戦争(1564ー1547)を戦い、多くの同盟都市が焼かれ、虐殺が続き、ルター派プロテスタントたちは、このあと100年間、負け続けた。ドイツ三十年戦争(1618ー1648)をこの中に含んでいる。こうしてほぼ百年続いた宗教戦争(ドイツ人の3分の2が死に、全土が焼け野原になった)とまったく同じ時代だ(中略)多くのプロテスタントが、ローマ教会の名で、拷問にかけられ、木に首を吊られ、火あぶり刑にされた。だから今もある、ローマ教会キリスト教こそは人類の諸悪の根源なのである。だから、今からでもこの勢力を廃絶しなければいけない。このときオランダでも、スペイン帝国(こっちは神聖ローマ帝国の弟分。同じハプスブルク家)から独立するための、血みどろの戦争があった。この「オランダ独立八十年戦争」(1568ー1648)が始まった不穏な時代の空気をボッシュは描いた。ボッシュは初期フランドル派と呼ばれる。そんなに生易しい男ではない。怒りを込めて真実を絵の中に塗り込めて今に伝えた。ボッシュのこの「エッケ・ホモ」は、捕まって縄で縛られて、ぼろぼろになって引き立てられていくイエスを、エルサレムの多くの市民たち(パリサイ人)が城の下のほうから見上げて指差しながら、みんなで嘲笑っている。だから、「この人を見よ」(Ecce homo)とは、天才である私ニーチェをみんな見よ、という意味ではない。そうではなくて、逆に惨めに裸にされて引き立てられて、この後、十字架で殺されるイエスの姿なのだ。ニーチェは、自分は、このイエスそのものだ、と言ったのだ。預言者(prophet)であるがゆえに、誰からも理解されないで、変人扱いされて死んでゆく人間なのだ、と(中略)ニーチェが『この人を見よ』を書いて出版(ニーチェの死後8年してから)されたとき、ヨーロッパの知識人たちは、「ああ、これは、ボッシュの絵だ。あの絵の題名だ。ニーチェはあの題材と史実を署名に使ったのだ」とすぐに分かった(中略)ニーチェが、一体どういうつもりで、すなわち血を吐く思いで、自分の思想家としての最後に、「エッケ・ホモ」「この哀れな。人々に決して理解されることのない、イエスと同じように裸にされ、手を縛られ、鞭打たれ、嘲笑され、引き立てられてゆく。この私という先駆者を、見てくれ」と書いたのだ。※引用者加筆.

トナカイの目は、紫外線を見ることができる

トナカイの引くそりに乗り、空を飛んで贈り物を配って回る。伝説と慣習の入り混じったこの組み合わせは、一九世紀初頭に一部のニューヨーカーたちが作り出したものなのである。それ以前は、米国のクリスマスはそんな大したものではなく、新年のほうがお祝いとしてよほど重要だった(中略)もともとオランダ人がマンハッタン島に建設した都市でもあるニューアムステルダム〔のちに英国人がニューヨークと改名した〕の守護聖人が、聖ニコラウス(中略)おそらく、(※風刺作家ワシントン・アーヴィングが)オランダ語で短縮形で呼ばれるこの聖人の名前〔シンタークラース〕を適当に変えたのだろう(中略)トナカイをクリスマスのごった煮に放り込んだのは、これまたニューヨーカーであるクレメント・クラーク・ムーアである ※引用者加筆.

言い伝えによれば、マルティン・ルターがクリスマスイブに星空を見て、ツリーをキャンドルの灯りで飾ることを最初に思いついたのだ。

1517年に、マルチン・ルターMartin Luther(1483〜1546)という1人の秀才の修道士(兼大学教授)が「95ヶ条の命題(質問状)」を北ドイツのヴィッテンベルク教会(大修道院。初期の大学でもある)の扉に貼り付けた。ルターが33歳の時である(中略)「95ヶ条の命題(テーゼ)」は有名な免罪符の売買を非難しただけではない。ハッキリとではないがそれとなく、商業活動(金儲け)の肯定が書かれている。

(※マルティン・)ルターは人格を形成した大学生時代にオッカムのウィリアムから大きな影響を受け、のちにウィリアムのことを「敬愛する師」と呼んで、「論理学を理解していたのはオッカムだけである」と主張している(中略)ウィリアムは当時の教義にことごとく異議を唱え、古代以来のしがらみをバッサバッサと切り捨てていった。教会権威の定めるスコラ哲学を否定し、神学から科学を切り離した上に、教皇を頂点とする封建体制にも批判を加えた(中略)もしも捕らえられれば破門されて投獄され、あるいは燃えさかる薪の山の上でゆっくりむごたらしい死を迎えることになる(中略)怒り狂う教皇の手の届かないところまで逃げおおせた。こうしてウィリアムは命拾いしたが、知られている限りフランスにも祖国イングランドにも二度と戻ることはなかった(※その後六〇歳頃に世を去るまで神聖ローマ帝国皇帝ルートヴィヒ四世の庇護のもと亡命政府に相当する組織を維持。そこにはウィリアムに共感を抱く学者が次々と訪れた)(中略)(※ウィリアムは)依然として代々の教皇の手先に追われながらも、ときどきヨーロッパの各都市を訪れて講和をおこなった(中略)ある教皇に至っては、逃亡者ウィリアムを捕まえるためだけに、現在のベルギーにあるトゥルネーの町を焼き払うと脅したほどだった(中略)ところがその革命的な思想があちこちで根付き、さまざまな方向に枝葉を伸ばしていく ※引用者加筆.

ユダヤ教(ジーザスが所属していたエッセネ派)、そこに憧れたイスラム教、またキリスト教と仏教が混ざった仏教を含めた仏教の原点は、眠っている能力を目覚めさせることなので、その方向性を体現する意味でのコスプレは、普段はお坊さんのコスプレであっても、クリスマス前後はサンタクロースのコスプレでもいいのだと思います。ちなみに、暑い地方では食中毒が多いので、食中毒予防の意味でもイスラムのお祈り運動(応急処置のポーズ)は効果的なようです。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/n922563f17ebe

https://note.com/wandering_1234/n/n527a9dea5d46