見出し画像

彼が分析したのは、生還した戦闘機だったということである

問題を「再構築」してみると、解決策が浮かび、直感的な閃きを体験する(中略)これは一種の思考パズルで、問題を解くには、突然の閃きが必要となる。

情報分析官

軍の世界では、戦闘でまっさきに犠牲になるのは真実だと言われる(中略)散らばったピースが行方不明になったジグソーパズルのように、みながそれぞれピースを持ち寄ることで全体像が見えてくる

優れた洞察は、何百ピースものジグソーパズルが少しずつはまっていくように、その全貌が明らかになるまでに時間がかかる。

軍は、撃墜される戦闘機の多さに不安を覚えた。そこで機体を補強することにしたが、どこを補強すればいいのかよくわからなかった。軍から要請を受けたウォルドは、戦闘から帰還した戦闘機の弾痕を全て記録した。すると、主翼の間と尾翼の間の二箇所に弾痕が少ないことがわかった。そこでウォルドは、この少なかった二つの箇所を補強した(中略)なぜ、ウォルドは、弾痕の多いところを補強しなかったのだろうか。それは彼が分析したのは、生還した戦闘機だったということである。つまり、戻って来られなかった戦闘機はこの箇所に多く被弾したと結論づけたのだ。

生きるか死ぬかの状況でできることなら、その技術はたしかに中脳に刻み込まれているのだ(中略)撃たれたとわかるのは生きている証拠であり、これはよい徴候だ。非常に強烈な警告の一発を受けたと考えよう。「最高の状態じゃないが、最悪でもない」と自分に言い聞かせよう(中略)経験者に言わせると、骨に当たった場合はすさまじく痛むそうだ。これは重要な知識だが、もうひとつぜひ知っておきたいのは、骨が折れても人は死なないということである(中略)人間の身体にはおよそ五リットル半の血液が流れており、その三〇パーセント、すなわち二リットル弱の血を失うまではオイル切れは起きない(中略)死に直面して初めて、人は真の生を知る。そのために戦う者だけが、生のほんとうの味わいを知っている。保護されていてはけっして知ることのない味わいを(中略)あなたは戦闘に備えて、配偶者に対処法を教えているだろうか。子供たちや両親には? これはだれもが口をそろえて言うことだが、配偶者に備えをさせるさいにいちばんむずかしいのは、「いいか、これから教えるとおりにするんだぞ」と言うときだ(中略)牧羊犬、つまり戦士だからといって道義的にすぐれているわけではないが、戦士にはひとつ現実的な強みがある。ただひとつだけ。それは、人口の九八パーセントがだめになる環境で生き残り、本領を発揮できるということだ(中略)戦士に変身するためには、戦士を研究しなくてはならない(中略)肝心なのは、家族に練習させておくことだ

不快感に耐える能力が大事なのは、キャンプ上手になるためでも、立派な兵士になるためでもない。そういう能力を身につけた人は強く、賢く、精神の働きが敏捷になる。それに何よりも、少々のことではびくともしない強固な幸福感を持てるようになる(中略)たとえば野外のキャンプに行くと、シャンプーも水洗トイレもないし、テントの隙間からは気味の悪い虫が入り込んでくる。しかしそういう状況でも平気な人がいる。それと同様に精神面においても、怒り、罪悪感、退屈などの不快感に尻込みしない人たちがいる。彼らは不快感に耐えられるだけでなく、そうすることが適切な場合には、そのダークな感情を活かすこともできる人たちだ。

情報分析官

自閉症の人は対人関係に困難を抱えるが、その多くはパズルなどの視覚的作業に秀でている。

サイコパスは神経を集中させることができます。彼らは 〝任務の遂行において〟誰にも負けません。方法よりも目的に集中します。あるいは、こうも言えるでしょう。「すべての遠回しな言い方をすっ飛ばして」と。

時は一九四四年(中略)現場(※野戦病院)にいた衛生兵のひとりが若き日のヘンリー・ビーチャーで、彼はこの時の体験をきっかけに、疼痛医学(pain medicine)の草分けとなる。ビーチャーは、病院に到着した負傷兵のひとりひとりに「痛いですか」「モルヒネが欲しいですか」と質問した。驚いたことに負傷兵の七〇パーセント以上───その中には重傷を負っている者もいた──は、まったく痛みを訴えなかった。終戦後ボストンに戻ったビーチャーは、これとは反対の状況を目の当たりにする。車の事故や労働災害でけがをした一般市民に同じ質問をしたところ、今度は同じような割合で「痛い」「欲しい」という答えが返ってきたのだ(中略)分析した論文で、ビーチャーは、両グループの差は負傷の程度ではなく、本人がその負傷の裏にとらえた意味の違いにあると述べている(中略)負傷した兵士が野戦病院にたどり着けたなら、自分は安全な場所にいて、おそらく国に帰れるだろうということが本人にはわかった。けがをしたことで生き延びられる見込みが高まったわけだ。実際、戦場で生き残る可能性はわずかだった。一方、けがをしたボストン市民は安全な立場から危険な状態に置かれたために、脳は当然ながら痛みを生じさせた ※引用者加筆.

帰還兵たちが氷水の入ったバケツにどれだけ長く右手を浸けていられるかを計測した。続いて、平穏な(そして、とうに忘れられた)映画の場面を使って、同じことを繰り返した。八人の復員兵のうち七人が、『プラトーン』を観ている間のほうが、痛いほど冷たい水の中に、三〇パーセントも長く手を浸けていた(中略)疼痛の消失効果を計算してみると、モルヒネ八ミリグラムを注射したときに匹敵することがわかった。これは、激しい胸の痛みを訴える人が病院の救急処置室で受けるモルヒネの量と、ほぼ同じだった(中略)(※外科医のヘンリー・K・)ビーチャーの推測は、脳内で作られるモルヒネ様物質が分泌された結果だと私たちは結論した(中略)肉体を極限まで追い込むことで、幸福感を覚え、浮き浮きした気分になる。※引用者加筆.

水風呂

私の場合、生き残った人々(生還者)を分析するため、2年間休学し、クリニックとその管理下にある宿泊施設に長期滞在(一月半から二ヶ月連泊の繰り返しを)して、断食療法前後の普通の食事について研究した(同時に温冷浴設備のないマクロビ系のクリニックも巡った)。なぜ絶食が必要かというと、オートファジーは痛みを伴う手術後の傷、その修復や、死滅したがん細胞の除去に使われるからである。最近、この手法がインスリン抵抗性の解除に必ず必要であることが解明された。食事療法の勉強をするなかで、このような施設のほとんどに温冷交互浴設備があり、温冷交互浴を1日2回、午前と午後に行うことで、がん患者の治癒効果の40%が得られていることを知った。残りの60%のうち、約50%は1日11回の裸療法で皮膚呼吸盛んにすることで治癒効果を得ていた(食事療法の効果は約10%)。裸療法(この時間に運動・物理療法をする)は時間がかかるので、がん患者でない限り、エアーネットシャツやアクリマ ACLIMA ウールネットの下着で代用し、常に皮膚呼吸を意識することで対応。私自身、死ぬのが怖かったので、原発事故以外では死なない状況を作るために、2002年にクリニックのレイアウトを真似て温冷浴の設備を作って登記した(当時2週間の水だけ断食を繰り返し死に方を覚えることで死の恐怖を克服)。残念ながら、福島原発事故による放射能の影響で2011年に手放した。病気の予防と治療で重要なのは、内部被曝と外部被曝を避けることである。次に重要なのは、上位5%と下位5%の間の人口の90%を占める中間層の健忘症のケアである。福島原発事故後、私が医療全般(健康関連)に興味を失ったのは、上記のような被曝問題と健忘症解説に対するタブー(シャドウバンや共同謀議集団によるガスライティング)があったからだ。そもそも中間層の90%、下位層の5%が被爆対策をしないように、健忘症にさせる教育が行われている。下位5%は当事者意識を持っているはずだから、健忘症にはなっていないし、対策の知識も持っているとは思う。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/nbe0b9f46e230

https://note.com/wandering_1234/n/n363feac720a3

https://note.com/wandering_1234/n/nd208b532cc5f

https://note.com/wandering_1234/n/n5957bcf628c7