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月【杖を作る理由】42/53

毎週月曜日は、杖を作る活動についてです。

9月に入りました。
今月の note 記事の個人的なテーマは、「生活の中にある魔法を考える」です。

初めて杖を作ってから、来月で2年。

今月はこれから 4 回、「まほうの杖」を 作る楽しさについて書いています。

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1:9月9日:自然の形に触れる

2:9月16日:コミュニケション ツールとして

3:9月23日:新しい形を想像する

4:9月30日:ストレスと共に生きる
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今週は、「自然の形に触れる」です。

最近、100分de名著 で『ディスタンクシオン』という社会学の本の話しを聞いて、
驚いたのですが、教育や経済によって、趣味や美的感覚も社会的な枠の中で醸造され、
その内外で闘争するというような感じの話しなのですが。

100分de名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年12月
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/104_distinction/index.html


これですね。

まほうの杖を作り始めたそもそもの始まりは、ハリーポッターなのですが。
その遥か前から、まほうの杖を最後に作ろうとは思っていて、

アートを生活の中に取り入れて、
なおかつ自然の形をより観察したり、側においていいなーと思ったりしたい。
というところから開始しました。

ただ、
農業経験もあるので、
そう言ったそもそもの自然と向き合って生きている生活の中では、

木の皮や素材の美しさを感じにくいと、『ディスタンクシオン』の中で行われている
フィールド調査で示されています。逆により、抽象的なものに美しさを感じると。

これは、
魔法の杖を作っていて、ああ確かにそういうものがある気がすると思ったのですが。

要するに、
自然と向き合っている中であれば、
わざわざ身の回りに空気のように自然にあるものを美しいと特別に思っていなくとも、
そのものと共に生きているということになります。

まほうの杖は、デジタルの世界にどっぷり使った私たち。
私は仕事はガチのデスクワークなので 1 日パソコンの前にいるのですが、

「木の質感」、「木の皮」、自然が作り出す形が非常に美しいと思って
まほうの杖を作っているのです。

ただ、それは、
つまりその対象を通じて別の世界を感じることができるということの
裏返しなのだと思います。

美しさを特別に感じることそのものが、
人生における成分として、今たりていない何かなのかなと感じます。

森に行けば行ったで、自然の形は本当にすごいなと思います。
いろんなことがある。

2つとして同じ形はなく、ビビるくらいに水と大気と、多様な生き物と共に、形を作る。

デジタルは、素晴らしい反面、
最終的に人間という単一の生物がぜんぶデザインした世界です。
だからこその良さもある。

しかし、
デジタルに浸かっている時に、

自然を傍らに置きたくなるというのは、
日本に昔からある「何らかのバランスをとる」ための性質なのかもしれません。

お茶も、お花も、盆栽も、俳句も、
民芸的な動きも、

これから先に、
どうなっていくのかわからないものの、

日本は結構あまねく文化教養をうまく伝達しているような気もします。

連綿としてあるというのは、ある種の知的な共有財なのだと。
多くの人のコナトゥス(エネルギー的なもの)と繋がっているというこのなのでしょう。

美しいと感じるものから、
それが一体何なのか考えていくこと。

木を削りながら、
何となくとめどなく自然の形いいなと感じながら考えて、
造形を作っていくことは、とても楽しい工程です。

自分たちもまた、自然の作り出した形の一つということだと思います。
80億人とかは、たぶん増えすぎなのでしょうけど。

サポートしたいと思われましたら、ぜひ「こんな杖を作って見てという製作への要望」や「こんなことに利用して欲しい」と私にメッセージをください。想いをのせ、ぜひ一緒に活動を作りましょう。その際には必ず報告します。