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土【問題あれこれ】28/53

毎週土曜日は、
杖作りのためのテーマメモ。

6月は 全体を通して
note 記事の個人的なテーマが

「健康な状態について考える」です。
(身体の中の話しというよりは、世の中的な「健康」に傾く予感がします。)

6月は土曜日に、
「いわゆる大きな課題」や、
身近なニュースなどで気になった内容を気がむくままに書いていこうかと思います。

今月のテーマは健康なのですが、

20代後半からかなり違和感を持って、
「何か得体の知れない」違和感を感じると思っているワードがあります。

「健常者」(けんじょうしゃ)

という言葉です。

何を持って健常なのか、
たぶん逆の意味としては「異常」なのでしょう。

果たしてこの世に「健常」な人間がいるのか。

また、
自分は「健常」であると豪語できる人間が居たとして、
その人は果たして「健常」と言えるのか、

不思議が不思議を呼ぶ、という風合いがあります。

20代半ば〜後半の時に、
たまたま「あなたのここは、こうおかしい(異常)」と
はっきりと伝えてくれる人がいました。

平たくいうと、師匠的な存在です。

今は、その役目を私のパートナーがしてくれているわけです。

「おかしい」という言葉には、

プロとして仕事をする上では
そのような振る舞いは長期的に実力を養うことにならない
ということから

一人で部屋の中で閉じこもって生きていけるのであれば
あなたの振る舞いにとやかく言わないが、
社会生活の中で多くの人と関係を持ちながら生きていくにあたって
そのような対応や言動は「非常識」と受け止められかねない

という意味合いまで

一緒にいる時間がとにかく長かったこともあり
細かにフィードバックをもらった時期があるのですが、

その過程で、

(たくさんの方を観察したり、自分を省みたりする中で)

・全ての人には特有の欠落点がある

・人と人の関係は相互に補うためにあることが多い

・正常というものの見方は立場によって異なる


ということを感じました。

たぶん「正義と悪」みたいな

ものの分け方と一緒で
グレーゾーンはかなり広くあり、

「健常」もどこからどこまでが健常と定義できない。
ものだと思います。

強いていえば、

法をおかさずに、
他者に多大な迷惑をかけずに生きている人間は全て健常とも言えます。

もう
十数年になるのだと思いますが、

いつも健常という言葉には
考えさせられるのです。

若い女性が「年上の男性」を誘惑して、
色仕掛けなどによって巨大な金額を「献上」させていた。

その女性は詐欺罪などで逮捕された。

その女性は「ホスト」に精神的に依存し、貢いでおり、
その女性の行動と「ホストクラブ」の間には動機となる関係性があった。

また、

「冤罪」で捕まった犯人を追及した検事がおり。
時に強引にでも有罪になるように振る舞う警察官がおり。
お金によって優秀な働きをする弁護士がおり。

国民の税金を使って(あたかも使ったかのような印象を残し)
「裸同然」の女性をパーティーに呼んで金銭を渡す政治家集団がおり。

街の片隅では人手不足などによって、保育所などで事故を伝える報道があり。
高齢ドライバーの事故の報道が連日のようにあり。

私が乗り合わせた電車の中で、
知的障害を持った息子さんとかなりお年を召されたお父さんが一緒にどこかに向かっています。

苦しいことだって多いのではないかと勝手に想像しますが、
和やかな空気を感じます。

ガタン ゴトン と進むわけです。

健常とは、何か。

誰が健常なのか。

不思議だなと、思います。

サポートしたいと思われましたら、ぜひ「こんな杖を作って見てという製作への要望」や「こんなことに利用して欲しい」と私にメッセージをください。想いをのせ、ぜひ一緒に活動を作りましょう。その際には必ず報告します。