ばぁば
久しぶりに、ノートを書く。
まずはじめに、今日の気候、最高に良かた。
ちょっと日差しが強く、適当にかばんに忍ばせた帽子じゃ、間に合わない紫外線の量を浴びたが、気温と、風量と、虫の生息度合いコンディション、バッチグーでした。
てか、40過ぎてからか、それ以前からか、1日が早過ぎて追いつけない😂
だけど、いつも仕事のことで頭がいっぱいな自分をオフにできた素晴らしい休日でした🫶
仕事といえば、私、今年はアニバーサリーイヤーでして、今のお仕事を始めて今年で10年になります🙌
今まで、3年周期で転職してた自分にとって勤続10年なんてもうそれは、、、
おめでとうの一言に尽きる。
(案外普通のコメント)
2014年10月、私は京都の飲食業界に足を踏み入れた。
当時30歳になった私は、骨うずめる位の覚悟を持っていたと思ってたが、京都らしい独特の雰囲気や、しきたり?(暗黙のルール)に、合わせることに懸命だった。
すぐ心も折れたし、悔しい思いも、もちろんしたし、ただ責任はあるようでないポジションだったから気楽にやっていた。
なんの目的もなく、言われたことを一生懸命することが、このお店での私の役割だった。
そんなお店で私が出会ったのが、ばぁばだった。
出会った頃は、何歳だったのか覚えていないが、多分78とかそのへん。
その前の年まで、お運びをしてたというのでめちゃ驚いたし、なんなら出会った時も、
誰よりも動いていた。
40年以上お店で働いていたらしく、そんな人に出会ったことなかったので、なんかもう凄いな(普通のコメント)って思ってた。
80前にもなると、色んなことに達観しているので、なにかを相談しても深刻にならないし、誰の悪口も私の前では言わなかったし、最後は笑顔で、「そんなんや」(そういうことやの意)と、締めくくってくれた。
ばぁばの昔話を聞くのは楽しいし、今でもお客さんに、ばぁばから聞いた話をして、盛り上がることがあるから、とても嬉しい気持ちになる。
『ようこそ』
ばぁばがお客さんに言うと、なんていうか特別感が生まれる。
飲食店に行って、ようこそなんて言われたら、嬉しくない?
もちろん、私も真似をしている。
ばぁばの家でごはん食べたり、一緒に居酒屋行ったり、軽い認知症が入るまで3、4年間お世話になった。
仕事を引退しても、たまに立ち話をしに、家に寄ったりしていた。
肌もキレイで、白いズボンに赤のカーディガン羽織って、ほんまハイカラ。
今はもう、私のことも覚えていないだろうから、道の片隅で腰掛けて道路を眺めていても、声はかけないけれど。
ばぁばの永い人生の中で、わたしの記憶なんてほんの一欠片だと思うし、もし今、声をかけて、きょとん顔をされるとそれなりにショックをうけそうだから。えへ。
私の飲食店従事仕事人生10年に置いて、ばぁばという存在なしでは何も語れないことが伝わったら幸いでアル。
話は変わって、先日。
趣のある店内の備品は、よくみると、もうこれ役目終えてるやん感がある物がチラホラ。
10年前なら、ばぁばに頼めば、ちょいちょいちょいと直してくれたりしたもんだが。
年季も入ってるし、新しいの買おうか〜
と言って、新調したのが
暖簾。
写真がないから伝わるかわからないのだけど、
お店に調理場と客席を行き来する場所に紺色の暖簾をかけていて(目隠し変わりに)、
ばぁばが、前うしろわからへんとの理由で赤いリボンを手縫いでつけてくれた。
たまに洗濯するから、しわくちゃでもうリボンの形はしてないし、そもそもリボンなくても前うしろは分かるが、赤いかたまりは取れることもなくずっと付いていた。
暖簾屋さんには、生地感や寸法をみてもらうのに、現品を送ったのだが、お店で使用していた暖簾の生地はもう無いとのことなので、似たような生地で新しく作ってもらった。
その商品が昨日届いて。
昨日ね、大雨警報でててね。
もうすぐ衣替えだし、お店も落ち着いた感じだから、
暖簾とか今のうちに変えよーと思って、新しい暖簾の袋をあけた。
気になってた生地感も違和感なく、丈ももちろんばっちり。
つっぱり棒に通して掛ける。
そしたらね。
そこに、あったんよ。
ばぁばのリボン。
暖簾屋さんが、リボンの生地で付けてくれてた。
なんか、めっちゃ嬉しくて。
ばぁばがいた証というか、存在が、今もお店にあるっていうのが。
ほつれを直したり、お花を生けたり、みんなの靴を揃えたり、人柄が溢れてた人。
居るだけで、みんながほっこりする。
居なくても、みんなが笑顔になる。
今度、見かけたら声かけよう。
たわいもない話をして、あの笑顔に癒されよう。
ばぁばから受け取った襷をしっかり握って、次の走者に渡せますように。
その日を楽しみにして、明日からも頑張ろう💪
レッツドゥーイット!