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元マフィア・自分探しの旅真只中のデ・ニーロ。それが「マラヴィータ」。

デ・ニーロ・ナイト、第九夜はカラーを変えてコメディ寄りの作品、
リュック・ベッソン監督との夢のコラボレーション「マラヴィータ」を紹介。
デ・ニーロが元マフィアで自分探し真っ最中のアブないオヤジを演じる。

※あらすじはこちら!

フレッド・ブレイクは泣く子も黙る元マフィアで、家族ともどもFBIの証人保護プログラムを適用され、偽名を名乗って世界各地の隠れ家を転々としてきた。そんなワケあり一家はノルマンディーのコミュニティーに溶け込もうとするが、かんしゃく持ちのフレッドは事あるごとに昔の血が騒ぎ、妻マギーとふたりの子供も行く先々でトラブルを起こしてしまう。やがてフレッドに積年の恨みを抱くマフィアのドンが、彼の居場所を突き止めて恐怖の殺し屋軍団を現地に派遣。かくして“ファミリー”VS.“ファミリー”の仁義なき壮絶バトルの火蓋が切られるのだった・・・!

■製作総指揮:マーティン・スコセッシ/タッカー・トゥーリー
■監督:リュック・ベッソン
■脚本:リュック・ベッソン/マイケル・カレオ
■原作:トニーノ・ブナキスタ著 「マラヴィータ」(文春文庫)

ハピネットピクチャーズ  公式サイトより引用

ブレイク(演:ロバート・デ・ニーロ)は言わずもがな、ならず者。
マギー(演:ミシェル・ファイファー)は爆弾魔。
上の娘ベル(演:ディアナ・アグロン)は口より先に手が出るタイプ。
下の息子ウォレン(演:ジョン・デレオ)は銭のためなら何でもする。
全員社会不適合者という、とんでもない家族が織り成す
これ全編ユーモアと暴力のドタバタを描くピカレスク・アクション。
つまりは「あばしり一家」(永井豪・著)である。
(それぞれ似たもの同士がいる。比べて確認してみよう!)

ただのドタバタと侮るなかれ。
ブレイクひとりに絞ってストーリーを追ってみると、
スコセッシ的ながらも、リュック・ベッソン的なのが興味深い。
ニキータ とかマチルダとかリー・ルーとかルーシーとかアンジェラといった
可愛くて気が強くてカッコいい女の子にトキめくだけが、彼の能じゃないのだ。 

ブレイクは悩んだ挙句、どこにたどり着く…?


元マフィアということで、ブレイクは「小説家」と周囲に偽っている。
しかし、その実態はハリボテだ。
とりあえず「側からみればフィクションみたいな自分のマフィア人生」を総括するために(かつ「小説家」という対面を守るために)自叙伝を書き始める、
が(多くの自叙伝がそうであるように)内省のない自己弁護、自己賛美に終始し
他者がゼロベースで読む文章として成り立ってない、と破り捨てられる。

「物書き」という社会的ステータスの高いポジションを名乗ったために
様々な社交の場に招待される。
その際、「元マフィア」として気に触る何気ない言葉を掛けられる。
殺し方をリアルに想像するくらいの殺意を抱く、その度に、こらえる。
(ここは夢想を好むベッソンならではの演出法。スコセッシは絶対しない。)

時に、宿敵のマフィア一家に包囲される(または殺される)悪夢を見る。
ときどき彼は呟く、「マフィアでもなく作家でもない俺は、何者なのだ?」と。


転機は、自治会主催の月一映画上映会(討論会つき)に招待された際に訪れる。
当初予定のキマジメ社会派映画の代わりに
ギャングだらけのアメリカ映画「グッドフェローズ」が入れ違いに届く。
(ブレイクはこれを「デカが抜けるギャング映画」と呼ぶ。)

ギャングについては俺の得意分野だ、と
上映後の討論会で、ブレイクは(グッドフェローズのヘンリー・ヒルと同じ)ニューヨーク在住の元ギャングとして、自身の過去を語ることとなる。会場は「どう見てもホラ話に近い」ハナシに沸き立つ。
ブレイクは、自分自身が何者だったかを、客観的に語り
聞き手はそれをフィクションとして受け取り、楽しむ。
つまりブレイクは「小説家」足る素質を、ここに初めて勝ち得たのだ。

が、それを文章に起こす間もなく
直後に敵の殺し屋軍団が襲来、撃退した後、姿を晦ますため再びあてもない旅に家族一緒に出る羽目となる。


マクガフィンってなーんだ?


リュック・ベッソン作品に通底する特徴に「マクガフィン」=「失せ物」探しのプロットが挙げられる。

マクガフィン
アルフレッド・ヒッチコックが使った言葉で、「物語の中でいっけん重要に見えるが、実はサスペンスを生み出すための単なる口実でしかない<プロット>上の仕掛け」のこと。

現代映画用語辞典(キネマ旬報社) 153ページより引用

この「何か」を巡って主人公が敵と戦い、勝利の末それを勝ち得るのが、普通の映画。
たとえ敵に勝ったとしても、主人公がこの「何か」にたどり着けない/手に入れられない(または「何か」を得ることが死を招く)がリュック・ベッソンの映画。

だから「グラン・ブルー 」では、
「もっとも死に近づいたもの」が「もっともすぐれたダイヴァー」ということで
エンゾとジャック、2人の主人公は最後死に至るし
「レオン」においては
スタンスフィールドはマチルドを追いかけ、レオンがマチルドを守る。
結果、殺し合いの果てに、スタンスフィールドとレオンは相討ちとなる。

本作においても、この法則は成立している。
すなわち、ブレイクの自分探しは、あとちょっとの所(つまり記録する直前)で中断され、再度やり直し(語りなおし)を強いられる形で、終わる。

しかし「自分探しが終わる=人格形成が終了する」のが許されない粗筋が、
逆説的に、デ・ニーロが「マフィア」を何度も何度も演じ続ける
名分となるのではないか?

だから今なお「アイリッシュマン」など手を替え品を替え、
スコセッシ監督の下、マフィアを演じ続ける価値がある、といっても良い。
スコセッシ=デ・ニーロのコンビについて、非常に自己言及的な映画なのだ。


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※勝手にデ・ニーロ・ナイト インデックス

第一夜:暴れん坊のデ・ニーロ「マチェーテ」

第二夜:青い目をした牢人のデ・ニーロ「RONIN」

第三夜:働き方を考えさせるナイスミドルのデ・ニーロ「マイ・インターン」

第四夜:ナイトメアクリスマス夢見るデ・ニーロ「ウィザード・オブ・ライズ」

第五夜:役作りに七転八倒のデ・ニーロ「俺たちは天使じゃない」

第六夜:沈痛のデ・ニーロ「ディア・ハンター」

第七夜:ハメを外すデ・ニーロ「ダーティ・グランパ」「ラストベガス」

第八夜:華麗なる紳士にして空賊のデ・ニーロ「スターダスト」

第九夜:自分探し真っ最中のデ・ニーロ「マラヴィータ」

第十夜:追憶のデ・ニーロ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

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ドント・ウォーリー
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