
“神など人間の産物に過ぎん!”そんな思い上がりを正すよ”The Sea of Trees”(2015)
A24の映画は気を衒い過ぎる。熱狂的なファンを獲得する一方で、総スカンを食らうこともある。
映画「追憶の森」は後者。「グッド・ウィル・ハンティング」のガス・ヴァン・サント×渡辺謙の期待値見た日本人の多くが、観終わった後「見た記憶」そのものを脳から抹消した。
ようこそ、同じものだけが永劫回帰する、森の奥へ。
「男たちだけの中に徹底的に閉じた関係や世界」を描き出すことに徹したら、ガス・ヴァン・サント監督の右に出るものはいないだろう。
大の男が、あまりに繊細すぎる心のために、誰とも馴染めない孤独感、あるいはただぼんやりとした死への欲求のために、苦痛にうめき、よろめいている。
どんなに才智にあふれていても、自分を癒す術が分からない。分からないからこそ、周囲にはその弱さを見せることができない。 まるで、転んでも強がってみせるコドモのように、その姿は、痛々しく、切ない。
この種の「気高い」男の心の中に、女性は入り込めない。救ってやれない。
救ってやれるのは、強くて頼もしい男だけだ。大のオトナであれば、コドモの不安を優しく受け止めてやれる。コドモは信頼と親愛を持って心から頼りきることができる。
「男が、男を抱きしめてやる」
この、かなり危うげなリリシズムを描くことができるのは、ガス・ヴァン・サントだけだ。
彼は、男同士が結びつき合うドラマばかり作ってきた。男同士の距離は、作品を重ねるたびに縮まっていった。男同士の平均年齢もまた、上がっていった。
デビュー長編のマラノーチェは、雑貨屋に勤める青年が、流れ者のメキシカンに「憧れる」話。
一躍メジャーに躍り出たマイ・プライベート・アイダホは、青年リヴァー・フェニックスが青年キアヌ・リーヴスに「想いを寄せる」話。
言わずもがな、グッド・ウィル・ハンティングは、青年マット・デイモンが中年を迎えたロビン・ウィリアムズに「手ほどきされる」話だ。
そして本作は渡辺謙にマット・デイモンが「手ほどき」される。八百万の神、のことを。
例えばこんなふうに。
Takumi Nakamura: [a loud howling sound is heard throughout the forest and Arthur yells if anyone is there] There is no one.
Arthur Brennan: Then what was that?
Takumi Nakamura: Tamashii.
Arthur Brennan: What's tamashii?
Takumi Nakamura: Tamashii are spirits. They are souls wandering these woods, until it is their time. Things are not what they seem here.
Arthur Brennan: It was probably just an animal.
Takumi Nakamura: There are very few animals in Aokigahara.
Arthur Brennan: Well, then it was one of the few.
Takumi Nakamura: This place is what you call purgatory.
purgatory 煉獄
しかしなんと「むさ苦しい」組み合わせなのだろうか。
なにせ公開当時46歳のマコノヒーが、公開当時56歳の渡辺謙と、体を寄せ合う話なのだから。いい年したおっさん同士、という字面だけでは嫌悪しか湧かない関係性。
しかしこれが、樹海という完全に外界とは隔絶された空間の中で、静謐で神聖な存在へと高められている:苔むした隣り合わせのお地蔵様のように。あるいは、二人の無頼漢が、風に誘われて花が咲き、散る花びらに寄り添うように風が吹く、同じ道を行くように。
時に美しく見えるのは、ひとえに、二人の名優の演技力によるものだろう。
マコノヒーも謙も、
痛みをこらえるとき、
水で渇きを癒すとき、
冷たい雨に気力を奪われるとき、
ぎりぎりまでがんばって自分の体を谷の上まで引き上げるとき、
ものすごく色っぽい喘ぎ声をする。
二人だけで互いに直視し合う世界(テントの中など)となると、さらに色っぽい。
この艷は、男二人がどこか影をたたえた神秘さを秘めていなくては、胡散臭いものに見えてしまう。
そしてこの色気をわかれば、生と死のはざまの世界を歩き続ける、男二人の心のゆらぎとよろめきとが、切実なものに感じられるのだ。
手ほどきの中で、いつしか
Takumi Nakamura: There are answers for this in science?
Arthur Brennan: There are answers for everything in science.
Takumi Nakamura: But not in God?
Arthur Brennan: God is more our creation than we are his
more A than B 「BというよりAだ」の意味の慣用表現
神が我々をお作りになった ではなく 神を生み出すのが我々の想像力なのだ と言い切っていたブレナンも、変わっていく。
リヴァー・フェニックス&キアヌ・リーヴスが流れ者同士感情をぶつけあったり、ロビン・ウィリアムズ&マット・デイモンがカウンセリングの場で激烈な心理戦争を繰り広げたりしたのとは違って、本作の二人は淡々と互いの気持ちを確かめ合う。
そのシーン:焚き火を挟んで二人が語らうとき、精悍なマスクの名残を残す横顔と昔もいまも変わらない流し目、ふたりのスターに相通じるものが綺麗に切り取られている。
監督は、かつて若手スターとして女性を、時に男性をも魅了したふたりの本分をよく理解している。「ふたりだけ」を見つめてうっとりできる人間には堪らない幸福な一作だ。
いいなと思ったら応援しよう!
