
なり切るのに七転八倒、珍しいデ・ニーロ、映画「俺たちは天使じゃない」
デ・ニーロ・ナイト第五夜は、1989年の作品、デ・ニーロ自ら製作総指揮も務めた「俺たちは天使じゃない」を紹介する。
この作品、実は1955年のマイケル・カーティス監督、ハンフリー・ボガート主演と同名の映画と、原作を同じくしている。どちらも信仰をテーマとしている。
だが、天と地ほどに話が違うのが、印象的だ。
1955年版…デビルズ島から脱獄した3人の囚人が仏植民地の常夏の街に忍び込む。たまたま見かけた雑貨屋の経営不振に同情して名を偽り店を手伝いだしたことから起こる騒動、そして3人がそれぞれの長所を活かしてこの一家を盛り立てていく姿を、ハートウォーミングに描く。
3人のうちの1人を演じるボギーが、面長の顔をコミカルな方面に活かして、エレガントに楽しげに自由人を演じているのが、印象的。
本作…カナダとの国境に近いアメリカ東部のとある刑務所から逃げ出した2人の囚人ネッドとジムが常冬のニューイングランドの小さな町に逃げ込む。国境を越えるための手続きの際に、自分たちの身分を神父と偽ったため、折から2人の神父が派遣される予定だった教会に送られてしまったことから起こる騒動を、おおむねシリアスに、時々コミカルなタッチで描く。
いかがだろうか。
季節と人数がそもそも違う。
さらにいうと、結末の付け方もまるで違う。
(未見の方のために詳細は伏せておくが、1955年版は「天使が地上から立ち去る」、本作は「天使が地上に降り立つ」ベクトルのオチ。)
1955年版と比較しない場合は、どうだろうか。
冬の街&厳格な教会という、見る方に寒々しい風景が延々続く上
キリスト教信仰をめぐる人間ドラマ、つまり日本人に馴染みがない(そして予備知識なしでは分かりにくい)ストーリーなので、人を選ぶ。
(のちの「カリートの道」でも共演する)ショーン・ペンのキマジメな好青年ぶり&出ずっぱりもあって、面白くない訳ではないのだが、
折角のデ・ニーロの演技も本作ではすっかり埋没している印象を受ける。
だが、この映画でもデ・ニーロが光るところが、ひとつある。
「どんな役でも演じきることのできるデ・ニーロ」が
「神父という役を演じるのに四苦八苦する」姿である。
もともと信仰心など持ち合わせていない粗野な、しかし悪知恵の回る男。
「正体を明かされ境界を追い出されたくない」必死さで、
口八丁手八丁で立ち回り、それを周囲の人々が「奇跡」と解釈し
すごいお人、ありがたいお人だ、と慕われて
ますます「偽りの親父」の仮面から逃れられなくなる、
そしてけっきょく最後まで、小さな町に張り付くこととなる。
いつも飄々としているデ・ニーロが、演じることに必死になっている。
計算しているイメージとは全く計算外の、イメージが異様なオーラを帯びて現れる。そこがファニーで、天性のおかしさがある。
彼自身にも心の変化がある。
神父を演じているうちに、信仰に近づいていくのだ。
それが最後の改心、真人間になろうという決意につながる、という仕掛け。
デ・ニーロによみがえった改心。寒い時代にこそほっこりする…かもしれない。
※勝手にデ・ニーロ・ナイト インデックス
第一夜:暴れん坊のデ・ニーロ「マチェーテ」
第二夜:青い目をした牢人のデ・ニーロ「RONIN」
第三夜:働き方を考えさせるナイスミドルのデ・ニーロ「マイ・インターン」
第四夜:ナイトメアクリスマス夢見るデ・ニーロ「ウィザード・オブ・ライズ」
第五夜:役作りに七転八倒のデ・ニーロ「俺たちは天使じゃない」
第六夜:沈痛のデ・ニーロ「ディア・ハンター」
第七夜:ハメを外すデ・ニーロ「ダーティ・グランパ」「ラストベガス」
第八夜:華麗な空賊にして紳士にして女装癖のあるデ・ニーロ「スターダスト」
第九夜:自分探し真っ最中のデ・ニーロ「マラヴィータ」
第十夜:追憶のデ・ニーロ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
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