旅の終わり、世界の始まり。「ゲバラ日記」を読み、「チェ39歳 別れの手紙」を観る。
無謀な計画、というものが世には存在する。
1966年、革命家チェ・ゲバラが夢見たのは、ボリビアを起点とした中南米の同時革命だった。キューバの前例があるから、ボリビアでも通じるという理論。
理論は破綻した。だが、それを一言で断じたり、責めたりすることはできない。
「チェ 39歳別れの手紙」はゲバラ暗殺までの、ボリビアのゲリラ活動を語る。
チェを「ボーダーライン」のアレハンドロ役、ベニチオ・デル・トロが演じ
スティーブン・ソダーバーグが監督、撮影(別名義)を務めた。「コンテイジョン」同様、実証に裏打ちにされたリアルな映像を作り出す。
この映画、「ゲバラ日記」と併せて読むことで、理解が深まる。
詳しい解説は松岡正剛の「千夜一冊」を読んでいただきたい。
併せて見ることで、限界を感じながらも、それでも燃え尽きるように生きた、人間の生の肉体が現れる。 冒険ものとして見るのが楽しく、最後のあっけない死が哀しくなるくらい、真に迫った肉体が。
チェ、旅の準備
キューバ革命後、チェ・ゲバラは、(旧支配層を一掃した)革命政権で工業相や中央銀行総裁等の要職を歴任するが、統治者としての役割になじめなかった。
なおかつ、自分自身の政治スタンス(反ソ連)から親ソ的な政権内で孤立したため、革命家としての活動への復帰の念を募らせる。
1965年、チェがまずは建国後の動乱の余波が続くコンゴ共和国(当時。現在はコンゴ民主共和国)へ赴くことを決意し、映画のタイトルでもある「別れの手紙」を書いた。 1965年 10月に行われたキューバ共産党の第 1大会ではフィデル・カストロがその手紙を読んだ。
映画「 39歳別れの手紙」はこのシーンから始まり、次に映画の場面は「 1年後」つまり 1966年 10月頃に移る。映画では、チェのコンゴにおけるゲリラ活動は取り上げられない。
1960年、植民地から独立を果たしたコンゴ共和国は、しかしその直後旧宗主国のベルギーの思惑で、国領の南部カタンガ州が分離独立し、内戦状態に陥った。
63年を前後に分離運動が鎮静化した後、今度はムルンバ対応に失敗し失脚・処刑された初代首相ムルンバの支持層が反乱を起こす。これをソ連・中国が後援し、1965年まで再度内戦が続く。最終的に
資本主義陣営対共産主義陣営 の構図では括れない、民族同士の対立の構図もあって、チェは革命不成の挫折を味わう。
それでも、革命を諦められない。 いや、むしろこの挫折をバネに、革命に賭ける情熱がいっそう燃え上がったと言って良い。
盟友であるカストロ とキューバ革命のために自らが貢献できる道は、カストロの意を呈して海外での革命運動の拡大に 尽力することだ との確信から、
長年の念願、自らのルーツたるラテンアメリカ革命の実現を志す。
ゲバラはボリビアでゲリラ戦の、そして南米革命の源を切り開くことを決意した。そこにはレネ・バリエントスという独裁者がいて、軍と警察と司法を完全に掌握し、大多数の農民や労働者は貧しさに喘いでいる。さりながら(左派の前政権を支持する)反体制派が鉱山地帯で活動するなど、基盤は意外に脆い。
つまりバティスタ政権同様、打倒は容易いはずだ。
農村を拠点にボリビアに新たな革命の狼煙をあげ、それを梃子に隣接するペルーや母国アルゼンチン、更には南米全体へと革命運動を広げる。
この決意を胸に、1966年に 11月3日に密かにボリビアに入国すると、 7日にボリビア共産党リーダーであったマリオ・モンヘが所有する 1500ヘクターの広い農場に、 24人のゲリラ兵士とともに身を落ち着ける。
長い旅は、ここから始まる。
チェ、彼の旅の始まり。
日記は11月7日から始まり、ゲリラ戦の準備に終始した11月を彼はこう総括する。
十一月 月間分析
万事みな順調。私は無事到着。隊員の半数が到着ずみ。いくらか遅れた者もいたが、みな無事だった。リカルドのおもな協力者たちは万難を排して山に向かうだろう。人里離れたここでは見通しはいたって明るい。あらゆる点からみて、ここなら好きなだけいられるだろう。
チェは、まずはボリビア共産党と連携し、オルトゥーニョ大統領 打倒を目指そうとする。彼は夢を語る。映画でも日記でも、同志やモンヘに対して、熱く。
(1966年)十二月三十一日
正午、われわれは乾杯した。モンヘは今日は歴史に残る重要な日だと言った。私も彼の言葉を受けて、われわれの運動こそ南米大陸革命の新たなムリヨ(雄叫び)であり、革命の大義の前にはわれわれの生命など物の数ではないと答えた。
と同時に、すぐにつまづきもやってくる。
(映画と日記とで描写は多少異なるが)モンヘから協力を反故にされるのだ。
(1967年)一月一日 日曜
朝、モンヘはだしぬけに、自分は手を引き、一月八日に党指導部に辞表を出すつもりだと言った。かれは自分の使命はすべて終わったと言う。(中略)察するところ、ココから戦略問題については一歩も譲らない私の決心を聞かされ、それを口実にあえて手を切る気になったのだろう。彼の言うことは首尾一貫していないからだ。
それでも、チェは同志たちとともに山に入って、ゲリラ戦を開始する。
政府軍の部隊に対し奇襲を繰り返し、「貧しく、政府に不満を抱いている」農村の支持を得て、同志を増やし、革命軍を形成し、いずれは首都に攻め込む。
そういう算段だった。
致命的な誤解があった。
ボリビアのインディオ農民は、ゲバラらのゲリラ活動に全く共感を示さず、むしろチェのゲリラ部隊を「外国人の侵入軍」と見なし、逆に政府側に積極的に情報提供等で協力するのだ。
農村から搾取するばかりだったバディスタと違って、バリエントスは農地改革で農地を地主から小作人に分配し、農民の支持を取り付けるべくことのほか心を砕いていた政治家だった。貧しいとはいえ、農民たちは皆現状に満足していた。
映画の中でも、チェや同志たちの口から発せられる不正を断罪する言葉・変革を求める言葉 または彼らの紳士的で親愛的な態度が
農民たちに無言で拒絶される、または遠巻きにされる姿が、多々描かれる。
チェの試みが空回りしているのだ。痛すぎるほど。
加えて、アメリカが軍事政権等への強力な梃入れを図っている。
チェが最初の頃、雑魚と侮った 弱小ボリビア政府軍は
しかし米軍による組織的・集中的な対ゲリラ戦の訓練によって、急速に強化される。農民から情報を得て、次第にチェの精鋭部隊の行動を、先回り・待ち伏せするようにすらなる。
(映画は打倒チェを狙う政権側の動きも入念に描く。ソダーバーグの演出は真に迫っている。)
キューバ革命の時とは逆、先手先手を打たれ、孤立無援の中、彼はどんどんどんどん追い詰められていく。同志たちもばたばた斃れていく。
ラジオから流れる、「検閲された」大本営発表も、チェや同志の士気を削ぐ。
じじつ、「ゲバラ日記」の中盤以降、悲壮感が文章に現れ出す。月間分析だけ抜粋してみても、それがよくわかる。
(1967年)5月 月間分析
わが軍は完全に孤立化しつつある。一部の隊員は病気にやられ、そのため兵力を分散させなければならなくなり、非効率的なことおびただしい。(中略)まだ、農民の間に地盤をひろげるには至っていない。農民からの支持はまだ先の話だ一人の新規参加もなかった。
9月 月間総括
政府軍の行動が効果的になってきたこと、農民がさっぱり支援してくれず、むしろ敵の通報者になりつつあることのほか、情勢は先月と変わらない。
さしあたり、最も重要なのはここを逃げ出し、もっと条件のよい場所を捜すこと。ついで、連絡をつけることだ。ラパスで大打撃を受けたため、われわれの組織網はガタガタになっているが。
追い討ちをかけるように、チェを持病の喘息の発作が襲う。
すでに映画冒頭で、軽く咳き込む描写は見られた。
それが慣れない気候の中で急速に悪化、激しく咳き込み時に仲間に指示が出せないほど弱りはてる。医薬品もなく、発作が収まるのを必死にチェは耐える。
「ゲバラ日記」における、この一文が、印象的だ。
七月三日 ゼンソクは相変わらず私に”挑戦”を続けている。
チェ、彼の世界の終わり。
飢え、渇き、裏切り、齟齬、敵意、追手、疑惑、焦燥が日々襲う中
それでも、チェは希望を捨てない。
変革の意志にあふれたまなざし、ことばを最後まで捨てることはない。
残った同志たちも、チェの言葉を最後まで信じる。
だからこそ一層、不変を望む農民たちとの意志の不疎通が、悲哀を感じさせる。
入国前の予想とは真逆:長くにわたる苦しい、しかし明日を信じる行進は続く。
気づけば、300日超が経過していた。
10月7日
われわれ十七人は欠けた月を仰ぎながら出発。行軍は苦しく、谷にはたくさん足跡が残ってしまった。近くに人家は見当たらなかったが、谷川から水をひいて灌漑したジャガイモ畑がある。二時に休憩。これ以上進もうとしても無駄だ。
「ゲバラ日記」はここで終わる。
1967年10月8日、ユロ渓谷の戦闘で、ついにチェは捕虜となった。
死に臨んで「Shoot Do it (撃て)」と叫んだ彼の態度は、まさに英雄だ。
しかし最後は、貧相な小屋の中に入れられ、撃たれ、耳鳴りの中で泣きじゃくり、視界がぼやけ白けていくチェの視点で、静かに、閉じられる。
かつての英雄が、英雄的な最期を遂げられずに終わる。バリエントスはこの成果を国内外に大々的に報じた。ラテンアメリカは動揺した。
(そしてこの後、ラテンアメリカでの反政府武装闘争は都市部へと追い詰められ、1970年代の都市ゲリラによる絶望的なテロ活動へと向かうのである。)
「チェ 39歳の革命」と「ゲバラ日記」 ふたつが描いたのは。
「チェ 39歳の革命」と「ゲバラ日記」 ともに
アルベルト・コルダが撮影した、虚像的な「英雄的ゲバラ」の姿はない。
凡人を軽く超越する、しかし夢に生きる革命家としての限界を、
喘息持ちの人間が、その体の内側に秘める熱い意志を、
「ゲバラ日記」と「チェ 39歳別れの手紙」は見事に描いた。
「モーターサイクルダイアリーズ」「チェ 28歳の手紙」そして本作を
3つセットで観ることで、短くも美しく燃えた、一人の男の生き様が、我々の目の前にはつらつと浮かび上がる。
※本記事 トップ画像はCriterion公式サイト から引用しました。