ギレルモ版「漂流教室」。つまり、幽霊より怖いおじさん、大暴れ。「デビルズ・バックボーン」。
ギレルモ・デル・トロ監督の作風は、人物造形から2タイプに大別できる。
ひとつは「パシフィック・リム」はじめとするスペクタクル・アクション。
威厳ある大人の男たち。彼らは、主人公にとって純粋に頼りになる存在だ。
もうひとつは、我々を理性と狂気の狭間に誘うダークファンタジー。
どんなに見た目頼もしくても、ここに現れる大人の男を信じてはならない。
彼らは、けだものだ。
弱いものを苛め抜くことで自尊心を満たす荒々しさと
ひとつのものに執着し、目的のため手段を選ばない女々しさとが共存している。
つまり、主人公を脅かす敵、暴君として立ちはだかる。 この上なく厄介だ。
「シェイプ・オブ・ウォーター」のストリックランドや、
「パンズ・ラビリンス」のヴィダル大尉が、これに該当。
2001年に監督が発表した本作の舞台は、スペイン内戦が終わりに近い1939年。
少年カルロスは親を喪い、人里離れた孤児院サンタ・ルチアに連れて来られる。
外界と隔絶された、半ば崩れかかった孤児院の中に現れるのは
不思議な少年の幽霊と、関谷みたいな暴君だ。一方、頼もしい男も出てくる。
「ミミック」「ブレイド2」のメキシコ人監督ギレルモ・デル・トロが、巨匠ペドロ・アルモドバルに招かれスペインで撮り上げたゴシックテイストのホラー・ミステリー。内戦下のスペインを舞台に、人里はなれた孤児院に連れてこられた少年が体験する恐怖を、ノスタルジックに描く。
【スタッフ】
監督・脚本 ギレルモ・デル・ト
製作総指揮 アグスティン・アルモドバル、ベルサ・ナバロ
製作 ペドロ・アルモドバル
撮影 ギレルモ・ナバロ
音楽 ハビエル・ナバレテ
編集 ルイス・デ・ラ・マドリード
衣装デザイン ホセ・ビーコ
その他 エステル・ガルシア、ホルゲ・ヘルナンデス
【キャスト】
マリサ・パレデス Carmen
エドゥアルド・ノリエガ Jacinto
フェデリコ・ルッピ Casares
イレーネ・ビセド Conchita
フェルナンド・ティエルブ Carlos
イニーゴ・ガルセス Jaime
映画.com 作品情報より引用
「漂流教室」に通じる恐ろしさ。
ご存知の方も多いと思うが、
漫画家・楳図かずおの「漂流教室」について、前段で説明する。
荒廃した未来世界に校舎ごと送られてしまった主人公の少年・高松翔ら、小学校児童たちの生存競争を描いた作品だ。
岩と砂漠だけの荒れ果てた大地には、見た目が怪奇でグロテスク、「恐ろしい」生物か無生物しか存在しない。
カマドウマのような形態、四足歩行をするまで退化した未来人類。
一口たべれば「マタンゴ」よろしく未来人類に変貌する、毒々しいキノコ。
噂に聞いた「天国」にたどり着いてみれば、そこはレジャーランドの残骸。「ウエストワールド」よろしくロボットたちが襲いかかる。
翔たちは食料やエネルギーの確保に加え、これら脅威との戦いを強いられる。
しかし本当の脅威は内輪の人間たちにある。
人格者のはずが、狂気に駆られ殺人鬼に変貌する担任教師。
ペストに感染して自棄になり、逆に被害を拡大させて皆を巻き添えにしようとするガキ大将。
空腹に耐えきれず、生徒たちを喰らう怪虫を妄想より現実化させてしまう少年。
そして、終盤、「ブタ肉」を巡って殺しあう子供たち・・・
平時には覆い隠される「人間の本性の恐ろしさ」にぞっとさせられる。
「恐怖」を描き続けた楳図かずおのストーリーテリング&漫画力の極致と言ってもいい。
殊に、唯一生き残った「大人」である関谷の暴虐は、目を覆わんばかり。
この男、平時は「給食を運んでくれる優しいおじさん」だったが
世界が激変した途端、喜々として野性を剥き出しにする。
己の欲望のままに子供達の足を引っ張り、隙をみては学校を支配する。
少女たちは召使いとしてこき使い、少年たちを対未来人類用の挺身隊に仕立て上げる(竹槍を持たせて、校舎から突き落とすのだ)。
一度追われても、しぶとく生き残り、また子供達のところに恐怖をもたらしに舞い戻ってくる。
最初から最後まで通じて怖がらせてくれるのは、この関谷くらいなものだ。
夢に出てくるほど、オソロシイ。
つまり、ハチントは関谷なのである。
「デビルズ・バックボーン」のはなしに戻る。
繰り返しの説明となるが、
舞台となる孤児院の周囲は一面菜の花、無人という意味「荒れ果てた大地」。
中庭には不発弾が埋まったままだし、暗がりの地下室は錆びた金属が臭い、少年の幽霊(後にこれは怨霊と分かる)が住み着いたプールがある。
異様な無生物だけで構成された孤立した空間に、主人公・高松もといカルロスは閉じ込められる。
大人たちは4人だけ。
一本足の女院長カルメン(マリサ・パレデス)。
謎めいた老教師カザレス。
若い女教師コンチッタ(イレネ・ビセド)。
そして青年職員のハチント(エドゥアルド・ノリエガ)だ。
そう、このハチントが関谷よろしく、最初から最後までしぶとく立ち回るのだ。
ハチントは、当時最もトレンディでラディカルな思想:ファシズムに傾倒していた。その思想を問題視して、カザレスは「銃」で、孤児院から追い出す。
ハピントにとって一応は拠り所だった孤児院(つまり「平時の世界」)から追い出されたことで、彼の中で何かが変わっていく:乱暴な気性が目を覚ます。
「みんな死んでしまえばいいんだ(そして俺だけが生き残る)。」
だから孤児院内に舞い戻って、ボヤを起こす。それは不発弾を巻き込んで、思わぬ大爆発を起こす。
ちょうど院長のトラックに乗って疎開を始めようとした子供達の大勢、そしてカルメンとコンチッタがその巻き添えになって、死んでしまう。
「アイツを殺しておけばよかった」
大勢の犠牲の怒りに、カザレスもまた、重傷を負いながらも一人銃を手に、眺めのいい部屋で待ち構える。
ハチントが次に姿を現した時、直ぐ撃ち殺せるように、と。
彼は決して目を瞑ろうとしない。昼か夜か、いつハチントがやってくるか分からないからだ。
焼け付く太陽、血を流す身体がじりじりと熱気に腐っていくのも、厭わない。
残念ながら、ハチントは待っていた:先にカザレスの寿命が尽きる。
かくて孤児院と外界との交信は、隔絶される。
ハチントが唯一の大人となった、つまり「銃」を武器に専制君主となった孤児院は地獄と化す。
逆恨みの鬼と化して、わずかに生き残った孤児たちに容赦なく暴力を振るい、孤児院に匿されているという秘宝を暴こうとする。
秘宝は、じめじめとしたプールのある地下室に隠されている。そのプールには怨霊が巣食っている:かつてハチントに殺された少年・サンティの霊だ。
果たせるかな、最後、ハチントはカルロスら子供たちの復讐にあって、槍で手足を刺された挙句、プールの中に突き落とされる。
それでも見苦しく藻がく彼を、怨霊が静かに水の底へと連れ去っていく。
生き残ったわずかな孤児たちは、最後、「自分たちの足で」孤児院を出て、さんさん日和の中、黄金に色づく麦畑の向こうへ歩いていく。
しかし一見穏やかな麦畑の向こうでは、無慈悲な戦争が待ち受けている。
「蝿の王」のジャックら生き残りたち同様、行手は暗い。
弱い奴にはめっぽう強い人、そんな彼も最後は因果応報。
前書きにおいて、ひとこと書き忘れていたが
デルトロ作品に出てくる、血も涙もないケダモノでマッシブな男たちは
必ず最後手ひどい「報い」を受ける。
(「漂流教室」の最後で、関谷が「ゆび」に目を抉られたように。)
恐ろしいときは徹底的に恐ろしく、呆気ないときは実に呆気ない。
そういう人間の恐怖を描くのが、(愛感込めたモンスター描写と同等か、またはそれ以上に)ギレルモ・デル・トロは巧い。
幸い?
ハチントはデル・トロ四天王(他3人はヴィダル大尉、ストリックランド、「クロノス」のアンヘルとしておこう、今考えついた)の中では、最弱だった。関谷の様に、我々の夢に出てくることはないだろう。
むしろ夢に出てきそうなのは、救いがない終わり方だ。
「この世の外に行けた」少女オフェリアやイライザとは違って、
かれら孤児たちは、「ハチントと同類のマッシブな男たちが殺しあってる」
この世で、生き続けなければいかないのだから。