新藤兼人が描いた記憶「さくら隊散る」_まだ40年しか経っていなかった。
忘れてはならぬ鎮魂の記憶。
現在公開中の大林宣彦の最新作にして遺作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」は「さくら隊」を題材に取り上げた。
「さくら隊」とは何ぞや?
昭和十八年の大映映画「無法松の一生」でヒロインに抜擢され、大戦下の暗い時代、凛として優雅な姿で日本人をうならせた女優・園井恵子。
彼女は、苦楽座の移動劇団、俳優丸山定夫のひきいる「桜隊」の一員として、昭和二十年六月末に広島に来て、そこを中心に中国山陰各地を巡演する。
爆弾が落ちることを知らなかった、彼らの1945年春に想いを託したのが、井上ひさしの戯曲「紙屋町さくらホテル」だ。
たまたま広島に戻っていた八月六日、彼女をはじめとする「桜隊」の9人の役者は、原爆の閃光下に置かれた。爆風で重傷を負ったものも、ふしぎに無傷だったものも、放射能症のために、やがて全滅した。
それから40年後、新藤兼人が監督し、この惹句で公開されたのが本作だ。
1945年8月6日 ヒロシマに幕を閉ざされた青春群像へ、鎮魂をこめて、世界に問う、今日、そして明日のために。
まだ喪失の生々しい記憶が残っていた時代。無念の思い、非戦の願いがフィルムに焼き付いている。
広島で巡業中に被爆し、9人が非業の死を遂げた劇団〝桜隊〟の悲劇。江津萩枝の原作を元に、1945年8月6日、広島で巡演中に被爆し9人が非業の死を遂げた移動劇団隊“桜隊”の悲劇を記録映像や証言を交えて忠実に再現した問題作。
【スタッフ】
製作: 日高宗敏/高島道吉
監督・脚本: 新藤兼人
原作: 江津萩枝
撮影: 三宅義行
音楽: 林光
【キャスト】
古田将士/未来貴子/八神康子/川道信介/滝沢修/小沢栄太郎/宇野重吉
Amazon 商品の説明から引用
8月6日、忘れられぬ記憶。
本作はセミドキュメンタリーとして描かれる。
つまり、「桜隊全滅」を
生きていた「桜隊」を知り、かつ「たまたま原爆の下に置かれず死ななかった」演劇人の証言を拾い上げ、あらゆる角度から、刺すように描く。
演劇界の重鎮・宇野重吉は移動劇団で送った青春の思い出と共に、感慨深く。
宝塚時代のライバルだった葦原邦子はヒロシマへの思いを唄にして、痛切に。
さすが百戦錬磨の演劇人。誰もが熱く語る。誰もが饒舌に語る。
「二度とこんなことは、あってはならない。」と、公開当時の1988年、バブルの喧騒に浮かれ忘れかけようとしている記憶を、忘れさせまいと、語り継ぐ。
はたして劇団民藝の創始者、新劇の巨人:宇野重吉にとって、本作が最後の映画出演作となった。
テニアン島 玉砕。これも忘れられぬ記憶。
原爆をテーマとした映画としては異色だが、寄り道に或る「玉砕」にも触れる。1944年7月24日から8月2日にかけて米軍と日本軍の間で繰り広げられた「テニアンの戦い」。結果は、日本軍全滅に終わった。
島に残された機銃台座・戦闘機・戦車・鳥居の残骸といった「それから40年後の」モンタージュが、戦闘の激しさを物語る。
晴れてテニアン島を占領した米軍は、飛行場を建設して、本格的な日本本土空襲を行う基地を整備した。同年11月以降、連日のように日本に向かうがこの島を離陸していった。1945年8月、広島、長崎へと旅立ったB-29も、また。
この由縁があるから、「テニアン島 玉砕」に触れる必要があったのだ。
「桜隊」の最期。
もうひとつ、1945年8月6日、「桜隊」の九人の運命の劇転を、再現ドラマとして描く。原爆投下後、9人は重油のような雨を浴びる。それは死の雨だった。
「黒い雨は降った。黒い雨は広範囲にわたって、放射能をまき散らした。」
9人は散り散りになって、それぞれが別個の死を迎えることとなる。
丸山定夫は、高熱だけでなく、身体中にブツブツができて痒く、しゃっくりが止まらず、たまらずに井戸水を何度も何度も体に浴びる。玉音放送を聞くと、それで糸が切れたように、8月16日に死亡する。
高山象三は、白い洗面器に吐血した後、異様に暑がり、暴れる。暴れに暴れた末、糸が切れたかのように、8月20日に力つきる。
園井恵子は、ふしぎに無傷に見えたが、やがて体の節々に痛みを覚え、左腕に潰瘍が出来、脱毛が始まり、紫の点々がどんどん増えていく。そして8月21日、体じゅう果実が熟れたように腐り切ったところで、呼吸が次第に弱まり、悶絶の形で息絶える。
方や「原爆を語り継ぐ」という文脈においては、九人のうちの一人、仲みどりが重大な役割を果たしたことも、語られる。
彼女は、1番列車が出ると聞くといてもたってもいられず、飲まず食わずで東京にたどりつき、東京帝国大学附属病院に駆け込む。
研修中の医大生の最初の見立ては「梅毒」、しかし血液検査によって常識を超えた重大な事態であることが判明する。白血球数の異常な値。
ただちに入院が認められるも、1日1日淡々と記録される脈拍と体温の値は悪化を続け、8月24日に死を迎えることとなる。
しかし、彼女は医学的に認定された原爆という核兵器による攻撃の被害を受けた人類史上初の原爆症認定患者としても知られることとなる。
そして、彼女の死を受けて、東京の医師団が広島に向かい、のちに「ヒロシマ」を語り継ぐきっかけとなったことも、語られる。
監督が語りたかったことは、つまり
「生きながら、腐っていく、侵されていく」という恐怖。 これは客観的ではなく主観的に捉えないと、つまり一流の監督が実写に再現しようとしないと、分かり得ない事物。 事実を極限まで再現しようとする執拗な監督の演出に、慄く。
そして一番大事なことは、
にんげん、死というものを悲鳴騒々しいものと思い込みがちだが、
彼らの死に、声をあげるような悲惨さはない、静かな痛みがある。
被爆したものたち、みんな死んだように眠っていく。 そこに、死の不思議がある。そこに、死を撒き散らす戦争というものへの怒りがある。
なお、2019年7月にルポタージュ「戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇 (講談社文庫)」が発売されています。
興味持たれた方は、あわせて、ご覧ください。