マスクマンとパルプ・フィクションのツープラトンな映画「ローライフ」。 勝敗結果は?
今回は、マスクマンを主役にした映画を紹介しよう。彼の被っているマスクが、どんな大きな意味を持つか。これが前提知識にないと、本作はただのB級バイオレンス映画に終わってしまう。プロレスラー、特にルチャレスラーにおいて、マスクは非常に大きな意味を持つ。
暴力と犯罪の泥沼に咲いた正義とは!?
『パルプ・フィクション』から24年―とんでもない“ヒーロー映画”が誕生した! LA・メキシコ国境の街 麻薬・アルコール中毒・臓器売買・不法移民・・・悪のしがらみに生きるローライフな奴らの群像劇! 貧困と犯罪、危険と悪意に満ちたメキシコ国境近くのLA。この街には不法移民やチンピラ、ジャンキー、様々な人達が交錯している…
元覆面レスラーの“モンストロ”はこの街で悪業を斡旋するボス(テディ)の片腕として働くが、キレると何をしでかすか判らなくなる。過去の栄光を捨て家族の為に金を稼ぐが、妻は麻薬中毒で喧嘩が絶えない。この街では、警官も信用できない。金の為にテディの臓器売買、殺人に一役買っている。
犯罪にまみれたこの街で、モンストロは妻に宿った赤ん坊だけが未来への希望なのだが・・・・。
4つのセクションからなるストーリ−は、時系列と謎、そしてユーモアが絡み合い、最後にひとつになっていく・・・。
ハピネットピクチャーズ 公式サイトから引用
予告編で悪目立ちする、この赤いマスクのオトコが主人公である。
彼が被るのは泥棒の覆面ではない、ルチャレスラーのマスクだ。
ルチャとはなんだ?
派手に激しく飛んだり跳ねたりするプロレス選手=ルチャレスラー
と一言で片付けてはいけない。
メキシコにおいて、ルチャとは神聖なる儀式。 善玉と悪玉とが決まっており、悪玉の執拗な攻撃の後、善玉はそれをはねのけ、悪玉を屈服させる。これがルチャの絶対的な図式。
とすれば、この世の悪を討ち砕く善玉レスラーたちは、神にも等しい存在。
実際、歴代の善玉マスクマンたちが、エル・サント(聖人)、エル・ミスティコ (神秘主義者)、レイ・ミステリオ(神秘的な王)といったカトリック的聖性を帯びた名前を持つことからも、この事実が伺える。 圧政や暴力に怯えてきたメキシコの人々にとって、彼らはただのレスラーではない、スーパーヒーローまたは現人神なのだ。
※げんにメキシコには、こんなコミックスまで存在する。
さて、主人公のレスラー(崩れ)が名乗るMonstro(モンストロ)はスペイン語。英語にすれば「Monster」「freak」「giant」。 直訳すれば「怪物」、意訳すれば「全てを超越した存在」、つまりは「神の血筋」。
善玉レスラーの役目、そしてこの「神の血」は、マスクの継承を通し、祖父から父へ、父から子へと受け継がれてきた。 モンストロはこの末裔。 だから、怒髪天を突いた時、神の如く、わななき、辺りにあるもの手当たり次第、全てを破壊する、無敵の存在となるのも、当然なのだ。
本来であれば上述のように誇り高き戦士が、今や臓器売買の元締め:米国人の手下に落ちぶれている。 その暴力は、ボスからの命令によって、強き者のために弱き者に対して行使される。もはや、神の血筋を名乗るものが行なって良いことではない。モンストロは、羽を穢され飛べなくなった堕天使なのだ。
パルプ・フィクション(風)のストーリー。その概要は・・・?
かつて自分の父がそうしたように、モンストロはまだ見ぬ我が子にマスクを継がせることに執着する。彼の妻(そしてボスの義理の娘)は、これを撥ね付ける。 モンストロは怒り、妻は大きなお腹を抱えて逃げ出す… ここから「パルプ・フィクション」=同時に並行する3つの物語が始まる。
モンストロの母子を追う追走劇に加わるのが、 夫のために臓器を探し求めるモーテルの女主人クリスタル(演:ニッキー・ミッチョー)と、 友を庇ってムショに11年入ってたらその間に愛人をNTRれたランディ(演:ジョン・オズワルド)だ。 寸断された時間軸のつぎはぎとか、短い尺の中で無理やり余裕を持って挿入された会話タイムとか、あと突発的で刺激的な暴力描写とか、タランティーノ好みの演出なあれやこれやを経て、 この3人は結託し、今まさにモンストロの妻子の臓器を摘出しようと試みる元締めの巣窟に向かうこととなる。
決着はどうつける!?
果たしてモンストロは敵地であらん限りの神の怒りを振るい、しかし、元締めと刺し違えることとなる。 銃弾を全身に撃ち込まれ「もう助からない」モンストロは、決めなくてはならない。「神の血」を継承する者を。
果たして「神の血」は誰に継承されるのか? 彼が下した結論は…?
冒頭のゴア表現や、「パルプ・フィクション」的演出ばかり目が行くが、本作の根幹たるテーマは「継承」。ここは全くブレていない。
いままで実の父の呪縛やボスの命令に従ってばかりだったモンストロが、最後の最後に「初めて自分の意志で下した」結論。 それが神も仏もないメキシコの荒野に、明日への希望を見せてくれる。救われる思いがする。
見終わった後に手元に残る多幸感、ホンモノの「映画を見た」感覚。なるほど、これはタランティーノも絶賛するはずだ。
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