ウィリアム・ワイラーの世界:強くなりきれない、男たち。
いまや「ベン・ハー」と「ローマの休日」の人 と語られている感もあるウィリアム・ワイラー(1902~1981)。 それだけで語るのは、もったいない!
同世代のハワード・ホークス同様、あらゆるジャンルに金字塔をうちたてた
彼は40年代から50年代にハリウッドの頂点に立っていた職人監督だ。
しかし演出の方向性はホークスと真逆:緻密、かつ整理整頓されている。
ワイラーの代表作を、それなりに、見ていこう。
スイス人の両親を持ち、スイスで育ったウィリアム・ワイラーは、母の遠い親戚であるカール・レムリ(ユニヴァーサル・スタジオ社長)に招かれ、ハリウッドに渡る。最初は小道具係だったが、その後脚本事務・配役係り・助監督としだいに昇進し、25年についに監督となる。当時は2巻ものの西部劇ばかりを撮っていたが、やがてビッグ・プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンの目にとまり、契約成立。以後は皆が知っての通りの傑作ヒューマン・ドラマを次々と放っていく。
1946年には「我等の生涯の最良の年」を発表。飛躍の年となった。
ワイラーの快進撃は続く。
パラマウント社で、ブロードウェイの舞台劇を映画化した 『女相続人』 (1949年) を製作・監督。アカデミー賞では8部門でノミネート、4部門で受賞。
シドニー・キングスレー原作の舞台劇を映画化した 『探偵物語』 (1951年) を製作・監督。アカデミー賞の監督賞など4部門でノミネート。
つづいてセオドア・ドライサーの小説を映画化した 『黄昏』 (1952年) を製作・監督した。
自業自得で落ちぶれ壊れゆく男のものがたり。「黄昏」
シカゴに働きに出た田舎娘キャリー。彼女が訪れた高級レストランの支配人ハーストウッドは素朴な彼女に惹かれていく。
妻に離婚話を持ちかけるが、まるで相手にされず、二人は、NYへ駆け落ちした。やがてキャリーは女優となり、彼の留守中姿を消してしまう。愛ゆえに落ちぶれていく男の悲哀を描くロマンティック・ドラマ。
スタッフ
監督・製作:ウィリアム・ワイラー
原作:セオドア・ドライサー
脚色:ルース・ゲッツ/オーガスタ・ゲッツ
撮影:ビクター・ミルナー
音楽:デーヴィッド・ラクシン
キャスト
ジェニファー・ジョーンズ 、ローレンス・オリヴィエ、 ミリアム・ホプキンス
エディ・アルバート 、ベイジル・ルイスデール、レイ・ティール
パラマウントピクチャーズ 公式サイトから引用
ジョージ・ハーストウッド(演:ローレンス・オリヴィエ)は、財産に恵まれ見た目には立派な暮らしを送っていた。高慢な妻(演:ミリアム・ホプキンス)の尻に敷かれてなすがままにされて、愛に飢えていたこと以外は。
キャリー(演:ジェニファー・ジョーンズ)という女性に出会い、絆されたのも、当然だったのか。
火遊びで男がプギャーする話なのだが、ワイラーは男に対する哀れみを交えつつ劇的に描く。この塩梅が、うまい。
ふわっとした妖精の様な彼女に導かれるまま、ジョージは、一才を振り切り、キャリーがシカゴを発つ列車に一緒に飛び乗り、愛を確かめ合うべく硬く抱きしめ合う。そこまではよかった。
だが、中年男子にとってNYの新しい生活は厳しい。加えて、駆け落ちの際大金を盗み出したことがバレて背負った汚名がもとで、さらに坂道を石が転がるように堕ちていく。慣れぬ肉体労働は、ジョージの身体に、さらに鞭を打つ。
自業自得のジョージの苦悩は、老いを加速させる。渋く重厚な演技をしていた男の顔には、いつしか、老醜というものを帯びてくる。
ジョージとキャリー、二人の老若の差は広がるばかり。このまま一緒では上手くいかないだろう。今後のことを見据えて、二人は決別を決意する。
別れた後、キャリーは女優として大成功を収める。方や、ジョージは、実家に戻ることもできず、ゴミあさりまで落ちぶれてしまう。
世慣れぬ素朴な田舎娘キャリー。高慢な妻のなすがままになり、人間的に弱い部分を抱えるジョージ。ふたりの一直線の愛の姿、そして挫折を、ドラマチックにワイラーは演出する。(平時はよく抑制された演技で、ここぞという瞬間に一気に情熱をほとばしらせる2人の名優の確かな表現力にも支えられている)
だからこそ、ジョージがキャリーに施しを受けようとする痛切なラストシーン。かつての償いをしたいと願うキャリーの心に同情や憐憫の念は微塵もない。ひたむきな愛の視線が全てを語っている。キャリーの真っ直ぐな思いを前にジョージが下した最後の決断は、ただわびしく去りゆくこと。真にキャリーを思いやっての決断である。
もがき苦しみ、這い上がれないまま落ちていく男。それでも一寸だけはプライドを残す男。これを、ありのまま格調高く描く、ワイラーの演出力が輝く佳作だ。
本作、アカデミー賞では、美術賞、衣装デザイン賞(白黒部門) の2部門でのノミネートにとどまった。
が、この程度でつまづくことはなかった。
この後「ローマの休日」「大いなる西部」「ベン・ハー」ら、言わずと知れた人間讃歌の名作で、世に名前を轟かせる。
その後、1965年にヒューマニズムとは真逆、背筋も凍るサスペンスを作る。
監禁し採集する男のものがたり。「コレクター」
蝶の収集を唯一の趣味とする内気な銀行員フレディ。彼はある日大金を手にしたことから、一軒家を買い取り、若く美しい女子大生ミランダを誘拐、蝶を収集するかの如く監禁するという、恐ろしい計画を実行し始めた。ミランダは4週間の期限付きで、僅かな自由しか与えられない囚われの身となる。彼女に異常な愛情を注ぐフレディと、何度も逃亡を試みるミランダ。約束の期限が過ぎた時、彼はミランダに結婚を申し込み彼女もそれを承諾するのだが・・・。
スタッフ
監督:ウィリアム・ワイラー
製作:ジャド・キンバーグ
製作・脚色:ジョン・コーン
脚色:スタンリー・マン
撮影:ロバート・サーティース
撮影:ロバート・クラスカー
音楽:モーリス・ジャール
原作:ジョン・ファウルズ
キャスト
フレディ:テレンス・スタンプ
ミランダ:サマンサ・エッガー
アニー:モナ・ウォッシュボーン
モーリス・バリモア
ソニー・ピクチャーズ 公式サイトから引用
なんといっても、フレディの存在感に尽きるだろう。
館の主は一人の青年である。背が高く、頼りなげに痩せている。昼は市内の銀行に勤めているが、内気で無口で目立たない。定時になると影のように銀行の裏口から出て、郊外の森の家へ帰る。無害に見えても、危うさを秘めた男だ。
そんな危うい彼は、ミランダという美しい女子美術生を拉致して地下室に監禁する。襲ったときに使ったのは、蝶の採取に使うクロロフォルムである。彼は優しさと悲しさと、冷たさの入り混じった青い眼でミランダという蝶を見つめる。見つめるだけである。 そう、監禁するだけ。
フレディにとって,女子学生を誘拐し監禁することは,チョウを採集してコレクションすることの延長にあるもの。だから、壊れないように、逃げ出さないように、優しく扱う。その手つきが、恐ろしい。
もちろん、それは人間的な優しさとは別物であり、ミランダは監禁下で徐々に衰弱していく。我々が昆虫標本を作るにあたって、トンボを飢えさせるように、コウチュウを毒ビンに閉じ込めるように。
傷つけないように、殺す。それこそがフレディの狙いだ。
やがてミランダが肺炎で死ぬ。その夜、彼がどんな女体の標本を作ったのか、映画は何も語らない。
そして明る朝、よく晴れた大通りを若い看護婦が歩いている。彼女はうしろからゆっくりついて来る緑色の車の中から、じっと自分を見つめている青い眼があることを知らない。
今見ても、若い監督が撮ったような感覚がある。時代を敏感に捉えている。
変質者の趣味が昆虫の収集というパターンが、本作以後、日本のテレビドラマやマンガにも見られるようになった事例があるくらいだ。
この後もワイラーは作品を発表し続ける。
ヘップバーンを主演に迎えた「おしゃれ泥棒」(1966年)、
次いで自身初のミュージカル 『ファニー・ガール』 (1968年) を監督。
黒人差別問題を描いた 『L.B.ジョーンズの解放』 (1970年) を遺作に、フィルモグラフィを締めくくった。
総じて、「衰えないまま」数々の引き出しを見せて、世をさった印象。
作家の理想系 ともいえる。
そして、強くなりきれない/押し切れない/声を荒げることができない男たちが主役になる。(そういえば「ベン・ハー」のへストンも、絶えず痛ぶられてばかりの役柄だ。) これが男性客にも支持を得た理由なのだと、思う。